「1+1=2」の証明で使われる「ペアノの公理」ってなに?『プリンキピア・マテマティカ』に対してゲーデルが指摘した「不完全性」という着想
『プリンキピア・マテマティカ』とは
私が高校生のころ、仲間うちでバートランド・ラッセルのエッセイを英語で読むのが流行っていた。高校の授業や模擬試験でよくラッセルの文章に触れた憶えがある。 ラッセルは哲学者であり、論理学を深く研究していた。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとともに『プリンキピア・マテマティカ』という大著を著している。 『プリンキピア』といえば、かのアイザック・ニュートンの主著であり、自然の原理を解き明かそうとした本であり、誰もが学校で教わるニュートン力学の本である。プリンキピアはラテン語だが、英語なら「principles」なので「原理」という意味だ。 つまり、ニュートンが自然界の原理を解き明かそうとしたのに対して、ラッセルとホワイトヘッドは、数学の原理を解き明かそうとしたのである。彼らは論理学の公理と推論規則から数学全体を導こうとしたのだ。 ミシガン大学のインターネットサイトに行くと、『プリンキピア・マテマティカ』全3巻の原書がアップされているが、よくこんな本を書いたものだとあきれるくらい緻密で長い。実際、1+1=2という簡単な足し算ができるようになるまでに第1巻が費やされてしまう。
ペアノの公理系からゲーデルの「不完全性定理」へ
ラッセルとホワイトヘッドは、ペアノの公理化を忠実に実行しようとしたのだ。数は集合によって定義され、集合は論理学で定義されなければいけなかった。しかし、数学を論理学によって基礎づけようという彼らの野望は、ゲーデルの一撃で木っ端微塵にされてしまったのである。 ゲーデルは「ペアノの公理系を含む理論」が、自らは矛盾が含まないことを証明できない、という意味で「不完全」なことを示したのである。 さて、算術は英語なら「arithmetic」であり、ようするに「算数」のことだ。それなら最初から「算数が含まれるシステム」などと言ってしまえばいいのだろうが、論理学の教科書では、たいてい自然数論か算術という言葉が使われている。あくまでも形式的に厳密なシステムについて論じているのであり、学校の算数をそのまま思い浮かべられても困る、ということなのだろうか。 算数なのだから、当然、足し算や掛け算が含まれる。では、引き算や割り算はどうなるのか? 実は、自然数の範囲では、負の数を考えていないので、自由に引き算はできない。同様に、有理数(分数)を考えていないので、割り算はできない。案外、不便ですな。まあ、自然数における算数という限定つき、ということで。