62年前に地図から消えた“幻の高原列車”を追う 軽井沢~草津温泉を結ぶ廃線跡はほとんど消滅、しかし林の中には…
軽井沢~草津に鉄道ができたワケ
草軽電鉄の開業で、まずいちばんに恩恵に浴したのは、草津温泉ではなかろうか。 源頼朝が発見したとか、いや行基だ、いやいやヤマトタケルだ、などなど伝説にこと欠かない関東の名湯・草津温泉。ただし、鉄道が近くまで通っているわけではなく、つまりアクセスに恵まれていなかった。 明治時代までの草津温泉は湯治場色の強い温泉地だった。標高1200mほどの山の中にあるので、2日かけて歩いたり、馬に乗ったり駕籠に揺られたり。艱難辛苦の末にたどり着く、そんな温泉地だった。そこにやってきたのが草軽電鉄だ。草軽電鉄の開業によって、草津温泉へ湯治に訪れる客は“新たな足”を手に入れたのである。 草津温泉における草軽電鉄の駅は、町の南の外れにあった。いまでは草津温泉の玄関口は中心の湯畑にも近いバスターミナルになっているが、草軽電鉄はもう少し離れた町外れ。すぐ近くにはリゾートマンションのアルカディア草津や草津温泉ホテルリゾートといった施設があり、その先の駐車場や小さな児童公園が、草軽電鉄草津温泉駅の跡地だ。公園の中には、草津温泉駅跡であることを示す碑が置かれている。
軽井沢~草津間驚きの所要時間
草津温泉駅から南側も、廃線跡が道路になって残っていると思える区間がある。駅跡の南側で西に向かってゆったりとカーブを描く道筋。確実なことはいえないが、きっとこの道がかつての線路の跡なのだろう。その後もゆるやかなカーブを繰り返しながら、山の中へと消えていった。 新軽井沢~草津温泉間は、約3時間30分。山越えの路線だから、スイッチバックに急カーブを繰り返しながらの旅路だった。当時のローカル私鉄の技術力では、高原地帯を一直線というわけにはいかなかった。だから、だいぶ時間がかかる。それでも、浅間山の山容を眺めながらの高原の旅は、見ようによってはなかなか優雅な旅である。 写真=鼠入昌史 62年前に廃線になった“幻の高原鉄道”が今も走っていたら…バスとの競争に負けた鉄道が持っていた「唯一無二の風情」とは へ続く
鼠入 昌史