2浪6留「医学部合格」更に待ち受けた“浪人生活”。医師免許のために勉強続ける中で、運命の出会いも。
「ビル・ゲイツや堀江貴文さんのようになりたいと思っていました。ビル・ゲイツはハーバード大学中退、堀江さんは東大中退だったので、憧れの人に近づけると思って東大を目指したのです」 ■東大には遠く及ばずも、落胆しなかった 山田さんが通った高校は、高校2年生までで、高校3年生までの課程をすべて終わらせる学校でした。そのため高校3年生からは授業に出ず、寮に引きこもってひたすら勉強を重ねていました。 しかし「学力は東大受験生としては物足りなかった」と語るように、高校2年生のときに受けた東大模試では、学校で最下位近くの成績でした。
本人はこの成績には、落胆はしていなかったようです。 「模試の成績はひどかったのですが、英語の要約だけは満点を取れたのです。その結果を開成から東大理科1類に進んだ家庭教師に見せたら『すごい! 東大に現役で行く子でも満点は取れないよ』と言われて、『あれ! 俺も東大に行けるんじゃないか?』と思いました」 とはいえ、高3のときの東大模試は偏差値37くらいから上昇せず、現役時の受験では東大の理科2類のみに出願したものの、センター試験が70%だったために、足切りに遭いました。ほろ苦い結果とともに山田さんは現役時の受験を終えたのです。
東大の2次試験に行けずに、受験を終えた山田さんは浪人を決断します。その理由としては、「自分の実力がわからなかったから」と答えてくれました。 「当時の自分は、東大に行けなかったら大学に行かない! という価値観だったのです。だから、その願いをかなえるために浪人をするのは必然でした」 大手予備校で浪人生活を送ることを決断した山田さん。「いきなり寮生活を離れてしまったら勉強しなくなる」という危機感を持っていたこともあり、この年も予備校の寮に入りました。
そのため、「勉強習慣は現役のときと変わらなかった」ようで、今ではこの選択に後悔をしていると振り返ります。 「私が受けていた集団授業は、『前年度ギリギリ東大に行けなかった人』を対象にしていたので、私みたいに箸にも棒にもかからない人は、最初からついていけない科目がありました。特に数学は板書に何を書いているのかがさっぱりわかりませんでした」 この年もほぼ成績は上がらず、河合塾の全統記述模試でも偏差値55くらいと、東大を目指すには厳しい成績でした。結局、この年も東大の理科2類に出願するものの、足切りに遭い、2次には進めませんでした。