教育現場にも見られる「マジョリティ特権」の弊害 権力に近い人ほど気づきにくい「構造的差別」
「マジョリティはすでに配慮されている」という視点を
──教育現場もインクルーシブ教育や、理工系学部で女子枠入試を導入するなどジェンダーギャップの解消が推進され、多様性が重視されるようになってきています。そうした中、多様な子どもと日々接する教員は、「マジョリティの特権」という視点から学級経営をどう考えていけばよいでしょうか。 障害学を専門とする社会学者の石川准氏は、「『配慮を必要としない多くの人々と、特別な配慮を必要とする少数の人々がいる』という強固な固定観念がある。しかし、『すでに配慮されている人々と、いまだ配慮されていない人々がいる』というのが正しい見方である。多数者への配慮は当然のこととされ、配慮とはいわれない。対照的に、少数者への配慮は特別なこととして可視化される」と、著書『見えないものと見えるもの―社交とアシストの障害学』(医学書院、p242)で書いておられます。 例えば、視覚障害者の方には夜間の街灯は必要ありません。つまり、健常者が夜に行動しやすいように配慮されているということです。現状の社会はマジョリティに合わせて設計されています。 このように社会がマジョリティにすでに配慮していることや、マジョリティの特権を可視化していかないと、不平等の是正であるはずの合理的配慮や理系の女子枠入試などに対しても、「なぜ特別扱いするのか」「逆差別ではないか」といった声はなくならないでしょう。教員の皆さんも、そうした視点を持つことが必要かと思います。 異なる立場を体験できるようなワークショップもありますので、参加してみるのも1つの手でしょう。今ならNHKの朝ドラマ「虎に翼」も、日本人男性特権や社会階級特権を学ぶ教材としてとてもよいと思います。 それから、教員の皆さんには「自分は絶対的な権力を持っている側にいる」ということを自覚していただきたいです。児童生徒や学生に対して教員は圧倒的な力を持っているので、教員自身が偏見を持っていないつもりでも無自覚に傷つける立場になってしまいやすい。学校が楽しくて先生になった方も、おそらくマジョリティの経験が多く、マイノリティの子の気持ちが理解しにくいところがあると思いますので、自覚的になったほうがいいと思います。 そして、構造的差別に気づくとともに、マイノリティ性の多い児童生徒や子どもに対して「かわいそうだから助けてあげよう」などといった上から目線ではなく、どうすれば彼らにとって自動ドアが開く状態になるのか、どう開かないのかを気にしながら、相手がそうした障壁に立ち向かわなくてもいいようにするには何ができるのかを、改めて考えてみていただけたらと思います。 (文:吉田渓、注記のない写真:Fast&Slow/PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部