教育現場にも見られる「マジョリティ特権」の弊害 権力に近い人ほど気づきにくい「構造的差別」
意思決定の場にマイノリティの人はいるか?
──教育現場に存在する「マジョリティの特権」による弊害は、どんなものがありますか。 まずは「カリキュラムを決めている人は誰か」という点ですね。意思決定権のある立場にマイノリティの人がいなければ、透明な自動ドアがバンバン開く人の視点だけで組まれたカリキュラムになります。 そのことが実感できるアクティビティーがあります。私もよく講義でやるのですが、教室の最前列の前にゴミ箱を置き、学生には自分の席から丸めた紙を投げてもらいます。たまたま前の席に座っていた学生は簡単に成功しますが、後ろの学生はなかなか入れることができず、ゴミ箱すら見えない学生もいます。 前の席の学生はゴミ箱だけを見ているので、後ろの席の学生が見ている不条理な風景はわかりません。まさに社会の縮図ですよね。不利な立場にいる人のほうが、不条理な構造を実感しやすいのです。そのため、不条理な構造が見えていない、実感できていない人たちが権力を持ち、意思決定の場にいることは大きな問題です。 ──その状況を変えるにはどうすればいいのでしょうか。 権力を持っている方々に、自分のマジョリティ性を自覚してもらうことでしょう。自分がマジョリティの特権を持っていることや構造的な差別があることに気づき、不条理な社会構造を変革する力になってもらえたらと思います。 もう1つは、意思決定の場にマイノリティ性を持つ人を入れること。これが一番早いですね。マジョリティ性が多い人がどんなに優秀でも、自分以外の立場の視点は持ちにくいもの。知識だけ増やしても限界があり、よかれと思ってやったことも空回りします。 だからこそ、ダイバーシティを推進していくには、リーダーの人、とくにマジョリティ性の多いリーダーこそ、マイノリティの方々の話に謙虚に耳を傾けること。マジョリティ性が多い人は、とくに自分が困っていないため、「自分は差別なんかしていないし、努力もしているから変わる必要がない」と思いがちですが、自身が持っている特権やマイノリティに対する偏見に気づき、自己変容することが重要です。