“0から1を作る”信念。指導者37年目で悲願成就。大津で谷口彰悟らを育てた名伯楽・平岡和徳TD が歩んだ道のりと子どもたちへの情熱
「一番、良い場所で見させてもらいますよ」
待ちに待った歓喜の瞬間だった。15歳で熊本を離れ、22歳で再び熊本に根を下ろしてから37年目。大津の平岡和徳テクニカルダイレクターが宙を舞った。 【動画】4発完勝! 選手権の熊本県大会決勝 大津vs東海大星翔 12月15日。何度も挑戦して阻まれてきた過去の歴史を乗り越え、ついに県立高校の大津がU-18高円宮杯プレミアリーグファイナル(EASTとWESTの王者同士が日本一を決める大会)を制した。 「負けた後の僕の寂しい姿を一番近くで見てきたのは山城(朋大監督)。逆に言うと、一番喜んでいる姿を最も近い隣の場所で見てくれました。でも、彼らの未来はこれからまたスタートしていく。今年はまた下から彼らのサッカーができる環境作りをしっかりとして、アドバイザーとして伝えていきたい」 試合後のミックスゾーンで想いを明かした平岡TDだが、喜びは人一倍あった。横浜FCユースを3-0で下し、試合終了のホイッスルが鳴ると、歓喜の輪ができる。ベンチでは苦楽をともにしてきた教え子でもある山城監督と抱き合い、控えメンバーともハイタッチを交わす。表彰式に舞台が移ると、目を少しだけ潤ませながら、こう言った。 「一番、良い場所で見させてもらいますよ」 大津の選手たちがスタンドの最上段に登っていく姿が見える場所から視線を送ると、また熱いものが込み上げてきた。 今でこそU-18高円宮杯プレミアリーグに定着し、優勝争いに顔を出している大津。インターハイや選手権に出場すれば、優勝候補の一角に挙げられる。その一方で、公立高校を一から強豪校に育て上げるのは簡単ではない。県予選で敗退する年も珍しくなかった。 長年監督を務め、現在はテクニカルダイレクターを務める平岡氏がここまで歩んできた道のりは決して平坦ではない。 1965年の7月27日に熊本県の下益城郡松橋町(現・宇城市)で生まれた。中学時代から名を馳せ、卒業後は遠く離れた東京の名門・帝京へ進学。3年次にキャプテンとして選手権優勝を経験すると、筑波大では高校時代に鎬を削った長谷川健太(現・名古屋監督)とチームメイトになる。 3年次には井原正巳(元横浜ほか)、中山雅史(現・沼津監督)らが入学し、後に日本代表として活躍する選手たちとともにプレーし、最終学年では高校時代に続いて主将を任された。 そして、何より大きかったのが、昨年まで日本サッカー協会会長を務めた田嶋幸三氏の存在。田嶋氏が大学3、4年次にヘッドコーチを務めていた関係で言葉を交わす機会が多く、様々なことを学んだ。 「田嶋さんとのミーティングでトレーニングメニューや勝利の法則などを学んだ。良い選手がいながら筑波大が勝てない時期でもあったので、環境を整えていた時期。今、僕がやっているものは色んな恩師たちから培ったものだけど、当時の田嶋さんはドイツから帰ってきたばかりで、トレーニング構築の方法論についてすごく勉強させてもらった」 才能を高く評価していた日本サッカー協会のスタッフからプレーヤーとして引き留めも受けたが、平岡TDは大学生活の終わりとともに現役を引退。生まれ故郷の熊本で教員となった。
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