増え続ける「非正規」…ここ30年、「成果主義への転換」がもたらした混乱と課題【経営学者が解説】
前回記事でみたように、「三種の神器」は日本的経営のエッセンスとは言いがたいものの、強い時代の日本企業の中核的競争力(コアコンピタンス)を醸成する上で重要な役割を果たしてきたことは確かです。次に、同時代の日本的経営を支えた制度が、平成の30年間で、どのように変容してきたのかをみていきましょう。前回に引き続き、岩﨑尚人氏の著書『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部抜粋して解説します。
「年功」から「成果」へ、「終身」雇用から「長期」雇用へ
「終身雇用制度」と「年功序列制度」が、昭和の日本企業の成長に寄与してきたことは否定されるものではない。経済的・経営的な側面だけでなく、社会生活にも大きく貢献してきたことは評価されるべきである。これらの制度の下で日本企業の職場は、経済活動の場を越えて従業員の生活圏そのものを形成していたのである。 しかし、景気低迷期になると、経験年数に伴って従業員の能力が向上し、適切な能力開発政策を通じて有能な従業員が育成されて、高い成果がもたらされるというシナリオの通りに事が進まなくなってしまった。というのも、技術的にも市場においても、経験したことのない速さで変化が生じるようになり、時間をかけて積み上げてきた能力や技能を急速に陳腐化させる圧力が強くなってきたからである。さらに、年齢や勤続年数によって賃金が右肩上がりで上昇する制度を続けていくことも困難になった。要するに、経営環境が根底から変わり、日本的経営人事システムを機能させてきた前提条件が崩れてしまったために、デメリットが顕在化したのである。しかも、高齢化社会の到来という現実が事態をいっそう深刻なものにした。 そうした事態を解決する選択肢の一つが、成果主義人事制度への移行であった。人事管理の軸足を「年功」から「成果」へと変化させて、成果や貢献度に応じて報酬を支払う方式に切り替えることで事態を回避しようとしたのである。同時に成果主義的な要素の取り込みは、これまでの日本的人事システムの特徴だった「企業と人」の関係のあり方をも変容させた。 その一つが雇用と賃金の分離である。年功制と終身雇用制の下で、それらはセットで議論されてきたが、成果主義においては賃金制度と雇用制度は切り離して考えられるようになった。年功給に代えて成果や市場価格に連動して賃金を決める成果給を導入することで、業績の浮き沈みに対応して賃金額の調整を行うことが可能になり、人員削減という数による調整圧力を相対的に弱めることが期待された。 もう一つは、「終身」雇用から「長期」雇用への転換である。企業が雇用を保障することの意義は極めて大きい。もとより、わが国の法体系の下では解雇自体が極めて困難であるが、いったん解雇が行われると、年金や退職金、社会保険等の個人負担部分の処理が複雑になる上に、他の企業で雇用を得るためにも大きなコスト負担が伴う。つまり、終身雇用制では個人の生活の安定性を保障してきたのである。 それに対して、長期雇用システムの下では、能力開発の機会、福利厚生に関する選択も個人に委ねられる。「終身」から「長期」への雇用の転換によって、仕事の内容、個人の成長や生活についても「自己責任」が求められるようになった。こうした変化は、企業と従業員の関係を「自己責任」という概念の下で再構築することであり、それまでの「人事理念=生活保障」という考え方の放棄につながった。 このように成果主義的制度への転換は、個々の従業員にさまざまな混乱と課題を突きつけただけでなく、労働市場全体にも少なからぬ影響を与えたのであった。