少しの失敗で殴られ鼻血止まらず「大人になり耳鼻科で骨折が…」 五輪を夢見た女性スイマー「怒ってはいけない大会」に託した願い
「監督が怒ってはいけない水泳大会」企画者の競泳元日本代表・竹村幸さんが綴る思い
子どもたちが「怒られるかもしれない」と怯えることのない未来を願って。その思いから9月、「監督が怒ってはいけない水泳大会」を東京・立川で初めて開催した。 この大会は元々、バレーボール元日本代表の益子直美さんが、バレーボール大会としてスタート。子どもたちがのびのびとプレーすることに主眼を置き、監督やコーチが怒ることを禁止している。 現役時代、指導者からの激しい叱責に悩んだという。そんな益子さんは、子どもたちの未来のために、この活動を10年間継続。そして、私自身も幼少期に毎日怒鳴られた経験がある。
私の競技生活はまさに「怒られるかもしれない」という恐怖との戦いだった。小学生に始まり、中学でも日々、ビクビクしていた。大人になり、怒られることがなくなってからも、トラウマとしてその影響は残り続けた。 この大会を益子さんが開催しているニュースを目にしたのは、そんな悩みを抱えていた現役時代だった。「自分だけじゃなかった」と安堵したのを覚えている。競技を引退後、益子さんのサポートで「監督が怒ってはいけないバレーボール大会」に参加。大会で見た子どもたちの笑顔に胸を打たれた。 私のように悩む選手が一人でも減り、意欲的に競技を続ける選手が増えてほしい。その思いで、水泳大会の開催を決めた。
「少しでも油断したら、また殴られる」 大人になって知った事実
私が本格的に水泳を始めたのは、小学校低学年。私は比較的早い段階で、トップクラスのコーチに指導される機会を得た。 そのクラスは特に厳しく、少しの失敗でも怒鳴られ、時には殴られることもあった。鼻血が止まらない日もあり、「少しでも油断したら、また殴られる」――そんなプレッシャーの中で練習に通い、毎日プールに向かう時間になると自然に涙がこぼれた。 「期待されているからこそ怒られるんだ」と自分に言い聞かせ、状況を正当化しながら耐えたが、次第に自己肯定感や成長意欲が失われていった。不安ばかりが頭をよぎり、ポジティブなことを考えるより「自分には出来ないんじゃないか?」「水泳選手として向いていないんじゃないか?」と悪い考えが頭を巡るようになっていった。 大人になり、花粉症で耳鼻科にかかったときのことだった。医師から「鼻血が止まらなかったことはありませんでしたか?」と尋ねられた。 なぜ、そんなことを聞くのかと思っていたら、鼻を骨折した跡がある、という。その言葉で、私は初めて幼少期に殴られた時、鼻の骨が折れていたことを知ったのである。あの日の出来事が鮮明に蘇り、怪我の深刻さを大人になってようやく理解した。 怒られながら続けてきた水泳は、「やらされるもの」という意識として私の中に深く刻まれていた。それでも「五輪に出たい」という強い思いと、「今すぐにでも逃げ出したい」という気持ちの間で当時は葛藤していた。 試合に向かう前にも「怒られたらどうしよう」という気持ちが拭えないままレースに向かうこともあった。そんな思いが頭をよぎる自分は、「自分には競技は向いていないのではないか?」と悩んだことも少なくない。 揺れる気持ちの中で、私は何を得たのか。現役生活が終わるまで、私はその答えを問い続けていた気がする。