コラム『カルチャーショック=ブラジルに半世紀』(3)=百万台記念式典=サンベルナルド・ド・カンポ市 広橋勝造
1971年暮れから1979年の8年間【TELESP】(サンパウロ州立電電公社)に勤めた。 老朽化していたサンパウロ州の電話局を急ピッチで近代化した時代であった。 そこでブラジルに驚き、共感し、ブラジル人の独特のカルチャーに感化されながら過ごした経験話を紹介しよう。 サンパウロ州の電話局が次々と新設され、電話(線)百万台の大台に達した。 それを記念してサンパウロ州知事のバンデイランテ宮殿で記念式典が開かれる事になった。 急ピッチで進む増設であちこちで不具合も起きていた。 ピニェイロス川の向う側に有るバンデイランテ宮殿への回線ケーブルの増設も、難工事で大幅に遅れ、電話回線の渋滞が起きていた。 そこに政治家同士の百万台設置の記念すべき電話通話式典が行われる事になったのだ。 いち早く渋滞問題をキャッチした俺の上司の上司(Chefe de Div. Tecnica=技術課長)がブラジル式解決策を打ち出した。 当時のサンパウロ市長であるラブセ・トゥーバ氏が地方の市長に電話する記念すべき式典で、回線状況は50%の接続成功率であった。 それを基に課長は安全確率を確保する為に5人のオペレーターを用意し、ラブセ・トゥーバ市長に合わせて同時に電話させ、その中で地方の市長につながった回線を素早くラブセ・トゥーバ市長の電話器に接続する方法である。 式典の2,3日前から何回かシミュレーションして満足点(?)を得て式典の日を迎えた。 俺は主任と一緒にラブセ・トゥーバ市長の電話回線をモニターする役目であった。 事情を知らないで悦に入っている【TELESP】の広報部長の指導で式典が進み、百万台目の電話器の記念すべき接続の山場を迎えた。 お偉いさん達が座った舞台の後ろのカーテン越しに課長が指示を始めた、ラブセ・トゥーバ市長のダイヤルに合わせて一番目の番号、二番目、三番目、四番目、・・・と5人のオペレーターがダイヤルを回し接続を試みた。 市長の電話【ツー、ツー、ツー、ツー、・・・】、緊張が走った。 5人のオペレーターの中の一人が接続成功の手を上げる事になっていたが、誰もうつむいたままで手を上げない。 沈黙が続く! 主任と課長の顔がこわばった。 ラブセ・トゥーバ市長は、息をのんで見守るジャーナリストやラジオ、TV局員、壇上のお偉いさん達を見回し、深呼吸の後、突然「(お~、元気にしとるかい、私は元気にしとるよ。本当に久しぶりだな・・・、今日はめでたい百万台の・・・)」と【ツー、ツー、ツー】市長を相手に話し始めたのである。 2分間程度【ツー、ツー、ツー】市長と和気あいあいと話し「・・・ではまた」と電話を切り、周りのお偉いさん達(州知事、郵政大臣、サンパウロ方面軍関係者、Etc‘s・・・)と握手して、電話百万台設置達成を祝った。 何も知らない広報部長は得意げな顔で式典の終了を伝えた。 式典壇上の後ろのカーテンの裏で青い顔になっていた課長は何とか息(生き)を吹き返し、主任に支えられ恐怖部長に無事の式典終了を報告した。 ラブセ・トゥーバ市長の咄嗟の英断で少なくとも10名の電話職員が退職処分から救われた。 こうした事を踏まえ、俺は幸せにブラジル人カルチャーに馴染んでいった。 今日、俺は日本とブラジルの2つの魂で幸せに暮らしている。 断わっておくが良いとこだけをもらった魂だ。 ちょっと疑問だ?