ノーベル物理学賞「重力波の観測」は何の役に立つのか?
「知の地平線」の先には国境はない
地球上に生きる生物はそれぞれ、その種を存続させていくための工夫が備わっています。例えば、植物のオナモミは、そのとげ状の実を動物にひっつかせて別の場所に運ばせることで、親世代とは違う場所での芽吹きをもたらし、分布を広げます。 人類は、いろいろなことを考えられる脳を獲得した代わりに、悩みすぎて立ち止まったり、現状に翻弄されて視界が悪くなったりすることもあります。未知の部分を知りたいという知的好奇心は、そんな人類に前を向いて歩かせ続けるための原動力になっているのかもしれません。 先にも触れたマルチメッセンジャー観測では、地球にまだ恐竜が存在した頃に放たれた重力波や電磁波などが1.3億年かけて地球に届きました。そしてその信号を観測するために地球上や宇宙にある70以上の観測装置が国境を越えて協力することで、一つの大きな成果を得るに至りました。科学を追究していくには人類は協力するしかないのです。
ビッグサイエンスとどう向き合うか?
重力波の観測は成功し、初観測の発表からわずか1年8か月後にはノーベル賞の受賞が決定しました。そのため、多くのメディアが科学的な意義や重要性を伝えました。日本の重力波望遠鏡KAGRAも、まだ観測には成功していないものの、重力波の存在が明らかになったことで、重力波天文学を担う一翼としてその存在意義が明確になったといえるでしょう。
しかし、ここでひとつ想像してみたいと思います。もし重力波が存在していなかったとしたら、どうだったでしょうか。もしアインシュタインが間違っていたとしたら……。どれだけ感度を上げても重力波初観測のニュースが世間をにぎわすことはなかったでしょう。大きな科学的成果や有名な賞の受賞をまだ成し遂げていない多くの研究が、こういった不確実な現実と向き合っていますし、それが研究の本質でもあります。 実は、KAGRAには重力波観測とは別にもうひとつの研究用途があり、地殻のひずみを測るための干渉計が併設されているのです。ひずみ計を用いることで、局所的な地殻変動や、大きな地震後の長周期振動を基に、地球の内部の情報が得られる可能性があります。スイカの良し悪しを叩いて調べる、あのイメージです。すぐに地震予知などに繋がるわけではありませんが、長期的にはこうした「基礎研究」は人類が直面するリスクを顕在化させるために役立つかもしれません。 多くのお金や人材、そして時間を必要とするビッグサイエンスは今後、分野によってはさらなる大型化が想定されています。 そのとき、研究コミュニティとしては何が求められるのでしょうか。それは研究の魅力を伝えるたゆまぬ普及活動はもちろん、他分野とひもづけられる可能性を常に模索することかもしれません。あるいは本来の目的とは少し離れた成果でもそれが人々に直接役立つ内容であるのであれば、その研究を分野として応援していくことかもしれませんし、または国際協力かもしれません。 税金を納めている側の私たち一般市民としても、その研究でどういう成果が期待でき、どこまでの負担であれば応援できるのか、その境界線について考えることができます。生涯のうちに経験できるかどうかと言われた重力波の初観測という物理学業界の大きな前進。これをきっかけに、ぜひみなさんも考えてみてはいかがでしょうか。
◎日本科学未来館 科学コミュニケーター 高知尾理(たかちお・おさむ) 1988年、埼玉県生まれ。専門は素粒子物理学実験。大学院では宇宙の27%を占めていると考えられている暗黒物質の探索に従事。趣味は登山と演劇。2016年10月より現職