大学からラグビー始め歴代最多キャップ98…引退決めた大野均は”異色で不屈”「骨折隠し奇跡へ」「試合後4リットル酒」
この頃は、2007年のフランス大会直前に始まったジョン・カーワン体制にあって徐々に出番を減らされていた。迎えた本番でも、初戦のフランス代表戦はベンチ入りしながら出番なし。その6日後のニュージーランド代表戦では、入れ替えられたスターターの10名のうちの1人としてプレーするも7-83と2連敗を喫した。 勝利を期待された21日のトンガ代表戦も18-31で敗れ、続く27日のカナダ代表戦は23-23の引き分けに終わった。大野はいずれも途中出場。最終戦後のミックスゾーンでは、チーム内での立ち位置への思いなどを聞かれることとなった。 しかし、決して不平不満は漏らさなかった。その毅然とした態度に聞き手の記者がやや圧倒されていると、向こうから黙って握手を求めてくれた。 「マイナスの気持ちを周りに悟られないようにしたかった。他の選手がそういう感情を表に出しているのを見て、ちょっと、格好悪いなと思う部分があったので」 世界中から「ブライトンの奇跡」と称賛されたイングランド大会初戦は、その4年後の9月19日(現地時間)にあった。過去優勝2回だった南アフリカ代表を34―32で破って大会通算2勝目を挙げた、その日、背番号5をつけた大野はタッチライン際で目頭に右手を当てていた。直前の宮崎合宿では、その右手の甲を骨折したまま練習し続けていた。 「それを理由にして練習を休んで、31人(大会最終登録メンバー)に入れなかったら悔しい思いが残る。痛いのは痛いですが、まぁ、ラグビーやってりゃ、みんな痛いんで」 そのイングランド大会では世界的名将のエディー・ジョーンズとともに歴史的3勝を挙げる。しかしそれ以降に日本代表でプレーできたのは、2016年6月が最後だった。ワールドカップ日本大会には選ばれていない。
ジェイミー・ジョセフ現ヘッドコーチが指揮していた2017年6月のツアーにも追加招集の形で呼ばれたが、合流間もなく参加した走り込み練習でスピードのある選手と同組に入ることになり、張り切るあまり、その場で故障した。 2016年から2シーズンは日本のサンウルブズの一員として国際リーグのスーパーラグビーを経験できたが、やがて東芝でも控えに回ることが増えた。いつしか、シーズン終了後の戦力外通告を心配するようになった。 2015年度終了後は、元主将で1学年上の冨岡鉄平ヘッドコーチ(当時)から不在着信があり、「いよいよか」と恐る恐る折り返すと、「もしもし? いま食事先でお前のファンだって言う人がいたから、代わって話してあげて!」と返され胸をなでおろしたものだ。 2017年度の国内シーズンが終わった頃には、前指揮官の瀬川智広からの電話に背筋を凍らせた。いざミーティングの席につけば「戦力外じゃないよ。来年は選手としてプレーしながら、経験を周りに伝えて欲しい」と言われ安堵した。 クラブにおける立場が変わるなかで貫いたのが、現役への強いこだわりだった。 2018年冬頃に行った単独インタビューで、東芝の戦力構想から外れた場合について話が及んだことがあった。本人はその時、他チームでのプレーを模索する可能性について「ぼんやりとは考えています」と述べたものだ。