シリーズ 能登に生きる 木工製品を制作する木地師の挑戦
◇自給自足の先にある〝百姓〟としての未来 能登地方を襲った地震から1年が経つ。壊滅的な打撃を被りながらも、以前の生活を取り戻すべく復興に力を注ぐ人々がいる。震災後、能登に暮らす人々は何を感じ、何を思うのか。能登に生きる人々のリアルをお伝えする不定期連載の第1回は、10年前に移住したある木地師の「いま」の姿をお届けする。 ▼海の目の前という環境と、町の人の温かさが決め手で移住を決意 ▼震災は大きな試練だったが、自給自足を実践するという夢を明確にした ▼多岐にわたる技術を身につけ家族とともに生き抜く力を養いたい ◇能登の地で見つけた〝終(つい)の棲家(すみか)〟 ――木地師(きじし)のお仕事についてお聞かせください。 木地師とは、ろくろを使って椀(わん)や盆、盃などの日用木工品を加工・製造する職人のことです。現在、制作した木地は輪島や京都、東京などに卸しています。 能登では若い木地師が少なく、地震で離れていった方も多いので、被災後に戻ってきた自分は「よく帰ってきてくれたね」と言われることも少なくありません。この仕事を次世代に繫(つな)いでいかなければ、という責任も強く感じています。また、木地の制作から漆(うるし)の塗りまで一貫して行う自身の作品創りも行っています。 ――志賀町(しかまち)に移住したきっかけは。 志賀町に移住したのは2015年です。もともと全国どこでもいいから自分たち夫婦に合う場所を探そうと思っていましたが、日本全国を探すのは途方もないことだと気付いて(笑)。大学時代によく遊びに行っていた能登を回ることにしました。 能登町や珠洲、七尾などを3年かけて探しまわって、最後に出会ったのが志賀町です。たまたま入った商店で出会った方から紹介してもらった家に一目惚れし、即決でした。海の目の前という環境と、町の人の温かさが決め手でしたね。初対面で「住む家を探している」なんていう自分たちに親切にしてくれた近所の方たちを好きになったんです。