シリーズ 能登に生きる 木工製品を制作する木地師の挑戦
震災が起きたからこそ今までやろうと思って考えていたことは間違いじゃなかったと思えたし、僕らが目指していたものはこれでよかったんだと思えた。地震はたまたまだけど、大きなきっかけになったことは間違いないです。 志賀町としてもオフグリッドに力を入れていく構想はあるようなので、モデルケースになって災害に強い町になる第一歩を自分たちの足で踏み出したい。若者が移住してくれるような強い町を一からつくっていきたい。志賀町に帰ってきたからには、ヤル気満々です(笑)。 ――木地師としての使命と新たな挑戦についてお聞かせください。 震災後に解体されていっている家の大黒柱などを使ったお椀作りを考えています。解体されてしまう家の材料を活(い)かしてお椀や器を作れたら、その家の記憶を形に残すことができる。地震で解体せざるを得なくなった家が数え切れないほどあって、寂しがってる人をたくさん見てきたからこそ、自分にできることはなんだろうと考えました。 生まれ育った家の木材から、ひと家族分くらいのお椀セットなんかを作れたら喜んでくれるんじゃないかなと。近所でよく遊びに行ったり一緒にごはんを食べていたおじいちゃんの家が解体されてしまうので、まずはそこで形にするつもりです。なにもしなければ全部ゴミになってしまうものを形で残したいですね。 ――田中さんが目指す未来とは。 何でもできる〝百姓〟になりたいです。木地師としての自分はもちろん、狩猟や農業、漆の仕事など、多岐にわたる技術を身につけながら家族とともに生き抜く力を養いたい。今年4月には東京・麻布での展覧会も予定しているため、自身の作品創りにも力を入れています。 (ライター・矢島まどか) ■田中俊也(たなか・しゅんや) 「木漆工をき」代表。1986年大阪府出身。金沢美術工芸大学で漆・木工を専攻。アート作品制作を経て、石川県挽物轆轤(ひきものろくろ)技術研修所で5年間修業を積む。2015年、能登半島にある志賀町に移住し木地師として独立し、漆器の木地制作を手掛けている
■やじま・まどか 1992年、埼玉県生まれ。フリーライター。不動産業界に6年ほど身を置く。2023年より東京と石川の二拠点で生活し、現在は能登半島で古民家宿の管理人を務める。地酒に目が無い 「サンデー毎日」2025年1月19日・26日合併号(1月6日発売)には他にも「寺島実郎の動乱2025予測 日本は対米自立し、アジアに足場を築け」「石破首相が単独インタビューで語ったこと」「専門誌編集長が大胆予言 2025年わが業界はこれがくる!」「蔦屋重三郎のべらぼうな軌跡を訪ねる」などの記事も掲載しています。