シリーズ 能登に生きる 木工製品を制作する木地師の挑戦
古民家は自分たちで工夫しながらDIYし、元々あった蔵を工房にして、自給自足の生活を目指しました。 町で挙げた結婚式の様子(地元の伝統的な「縄張(なわは)り」)が町報誌の表紙を飾ったことで、知らない人からも「おー田中さん!」と声をかけられるようになりました(笑)。お陰で地域に溶け込むのは早かったんじゃないでしょうか。 ◇震災がもたらした新たな決意 ――地震発生後、京丹後へ移り住んでいた田中さん一家。志賀町に戻られた理由を教えてください。 令和6年能登半島地震で家が全壊判定を受け、家族全員で京都府の丹後に避難していました。そのまま向こうに住む選択肢もありましたが、子どもたちが「志賀町に帰りたい」と言ってくれたことが能登に戻ろうという気持ちを後押ししてくれました。 震災は大きな試練であった一方で、志賀町を拠点に自給自足を実践するという夢を明確にする契機にもなりました。畑で穫(と)れた野菜や山の幸、海の幸を家族で楽しむ、それが何よりの贅沢(ぜいたく)です ――自給自足の暮らしを目指すきっかけがあったのでしょうか。 漠然と、今の日本でどう生き抜くかを考え続けてきました。志賀町の自然豊かな環境は、自給自足の理想を追求する上で最適な場所だと感じています。狩猟免許や船舶免許も取得したので、電気工事士の資格なんかも取れたらいいなと思っています。家族で住む場所、家族が食べるものくらいは、すべて自分たちで賄うことが理想ですね。 開拓しがいのある山、海、田んぼなどが揃(そろ)っているこの土地で、自分で手を動かしながらわくわくするような生活を作りたいです。 ――今やりたいことはなんですか? かねて掲げていた自給自足の生活を目標にして狩猟と船、田んぼの準備をしています。同時に、災害時に対応できるような水道や電気に頼らないオフグリッドの家も建てる予定です。有事の際はうちを拠点に集落の人が集まれるような、みんなの助けになれるような場所をつくりたいんです。