柴田理恵 病で母が要介護4に。仕事を辞めて東京に引き取るか、それとも片道3時間の遠距離介護か…迷ったとき思い出した母の力強い言葉とは
◆正直、困った 入院する前までの母は、もっとも軽い「要支援1」でした。 要支援1とは、食事やトイレは一人でできるものの、掃除や身のまわりの一部に介助や見守りを必要としたり、立ち上がるときや片足で立ったりする動作に支えを必要とする状態を言います。 それが今回の更新で、2段階ある「要支援」よりも上にある5段階の「要介護」のうち、重いほうから2番目の要介護4。つまり、介護なしには日常生活を送ることができない重度の状態と認定されたのです。 正直、困ったなと思いました。 リハビリでどれだけ身体機能が回復するかわからないし、たとえ回復したとしても、いままでのように富山の実家で一人暮らしをするのはきっと容易ではない。やっぱり東京に引き取って、一緒に暮らしたほうがいいのではないか……。 仕事を辞めて親の介護をする人もいる。実際、そういう選択をした知り合いもいた。私もそうしたほうがいいのでは……。 そんな考えが自然と胸のうちに浮かんできました。 でも、それはないな、とすぐに思い直しました。
◆あんたの人生はあんたのもの 実は父が亡くなったとき、母に聞いたことがあるのです。 「よかったら、東京で一緒に暮らさない?」と。 母はその提案を「絶対に嫌だ」と言下(げんか) に断りました。 生まれ育ったところが、自分にとっては一番大事。ここには大切な友人や知人がたくさんいるし、やりたいこともある。だから自分はここを離れない。そもそも自分の人生は自分のもので、あんたの人生はあんたのもの。 あんたが仕事を辞めたり減らしたりして、私の介護をするなんてことは考えてくれるな。あんたはあんたの人生を生きなさい―。 母は強い言葉で、そう言いました。 要するに、母には私の知らない大事なコミュニティが富山にあるのです。それを断ち切って東京でゼロから人間関係を築くなどあり得ない。見知らぬ土地で孤独に陥るのが目に見えています。 それに東京へ来てしまえば、子どもたちや地域の人たちにお茶や謡を教えられなくなる。それは教師を退職後の母にとってかけがえのないもので、文字通り生きがいになっていました。 母の大切なものは、みんな富山にあるのです。それを無理やり奪うことはできないし、やってはいけないことだと思いました。