史上最悪の産廃不法投棄で「ごみの島」になった豊島 調停成立24年の今も残る傷跡と教訓
香川県土庄町の有人島、豊島(てしま)で発生した日本最大規模の産業廃棄物不法投棄事件をめぐり、6月6日、公害調停が成立して24年となった。この節目の日に、認定NPO法人「瀬戸内オリーブ基金」が企画した環境学習が実施され、滋賀県の中学1年生66人が現場を訪れた。基金事務局の清水萌さんは「生まれるはるか前に起きた事件や公害調停を自分ごととしてとらえ教訓を受け継いでいってほしい」と語った。 ■事件の経緯を事前学習 環境学習には、基金の法人サポーターである学校法人聖パウロ学園光泉カトリック中学校(滋賀県草津市)の生徒たちが参加。生徒たちは、基金が制作したYouTube動画「すぐにわかる豊島事件」3本、計約36分を視聴した。 業者によって不法投棄で汚染され続けてきた豊島産廃事件。発端となった昭和50年の産廃処分場建設許可申請から、令和5年の産廃処理事業終了までの経緯を学んだ。 現地で土砂採取業者の処分場建設申請に対し、住民は反対運動を行ったが、3年後、ミミズ養殖を名目に県が建設を許可した。しかし業者は、昭和55年頃から自動車破砕くず(シュレッダーダスト)や製紙汚泥など大量の有害産廃を運び込み野焼きした。業者への恐怖心から香川県職員は黙認状態になったとされている。 平成2年、廃棄物処理法違反で兵庫県警が業者を摘発したが膨大な廃棄物は放置され、「ごみの島」とも呼ばれるように。香川県は「当時の認定に誤りはなかった」として一部の廃棄物を処理した程度で「安全宣言」を出した。 5年11月、住民は故中坊公平弁護士らの協力を得て、業者と県などに対し廃棄物の完全撤去を求める公害調停を申請。6年半後に住民と県との調停が成立した。 廃棄物は隣の直島に中間処理施設を設けて融解、無害化して工事資材などに再利用されることに。この処理はごみのリサイクルを進め循環型社会を目指すようになる契機の一つとされる。 令和2年までに廃棄物や汚染土壌など約91万3000トンを島外に搬出。産廃特別措置法に伴う国の財政支援が終わる5年3月、県の事業は終了した。