小2で交通事故に遭い、意識不明になった少女。命は助かるも…医師「後遺症が出るかもしれない」いつ死んでも後悔したくない、と選んだ道とは
PR代行業やPR塾を運営する株式会社LITAの代表取締役である笹木郁乃さん。女性経営者として注目されることも多いですが、その半生を振り返ると、困難を自力で乗り越えてきた努力家としての一面を垣間見ることができます。今回は笹木さんの幼少期から現在に至るまでのストーリーを追いながら、地道に努力を重ねた女性経営者のロールモデルとして紹介します。 【写真7枚】意識不明の中、身体中を包帯で巻かれた姿
小学2年のとき交通事故で脳の手術を経験
もともと「やんちゃ」な子どもだったという笹木さん。交通事故に遭い意識不明になったのは小学2年生のときでした。医師からは「20歳までに後遺症が出るかもしれない」と告げられたといいます。 親から聞かされたその言葉は、子どもながらに緊迫感を持ったそう。 「九死に一生を得た私は、命の恩人である医師の存在が大きく感じられました。また兄弟が多かったため、親が付き添えない日もあり、ひとりの夜は心細くて泣いていました。そんな私に寄り添ってくれた看護師さんの影響もあって、自分も人の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました」 それと同時に強く感じたのは“明日が必ず来るとは限らない”ということ。 小学2年で死の恐怖と向き合った笹木さんは「いつ死んでも後悔しないように生きなくては」と考えるようになったのです。
幸せ。でも貧しい家庭。挑戦できないことがジレンマに
「私は4人兄弟で、両親の愛情いっぱいに育ててもらいましたが、父がうつ病で働けなくなり、母も専業主婦という家庭だったので、金銭的に余裕のある状況ではなかったです。洋服は近所の子どものお下がりは当たり前。習い事など行けるはずもありませんでした」と話す笹木さん。 「お金がなくても、間違いなく幸せだった」という笹木さんでしたが、家の周辺で虫取りをして遊ぶ日々に人生を持て余しているような感覚を抱きます。 “挑戦したいけど、お金がないからできない”と思うようになり、習い事に行く周囲の友達が羨ましかったそうで「挑戦したい!」という気持ちを親に言うこともできず…。理想と現実のはざまで、小学生の笹木さんは情熱の火種をくすぶらせていました。 そして中学でようやく情熱を傾けられるものに出会います。それが吹奏楽部で出会ったサックスでした。さらに進学した高校は吹奏楽が強く、県大会出場の常連校で全国大会を目指すレベル。部活に勉強にと刺激のある学生生活を送ることになります。