小2で交通事故に遭い、意識不明になった少女。命は助かるも…医師「後遺症が出るかもしれない」いつ死んでも後悔したくない、と選んだ道とは
後遺症が頭をよぎる20歳のころ、命を燃やせるものを探す
19歳になった笹木さんは、国立の山形大学理学部数学科に入学。 「大学入学後、再びモヤモヤする時代に突入します。周囲は大学生になって楽しそうに羽根を伸ばしているのですが、私には“20歳”“後遺症”という言葉がよぎっていました」 タイムリミットが近づいているという感覚が、笹木さんを駆り立てます。 「この命を何につかうべきなのか」と、数学科の学びで直接的な社会貢献を見出すことができなかったことも笹木さんを悩ませる原因となっていました。 そんなとき、工学部ならものづくりの現場で知識を活かしていけると考え、理学部から工学部へ、大学初の転部を申し入れます。 「転部したからにはやり遂げよう!」と目標を掲げ、大学を首席で卒業。卒業後は超大手企業アイシン精機株式会社の研究職で就職するという華々しい道を辿るのです。 しかし、希望に満ちた社会人生活は思うように行きませんでした。 「憧れの企業に入社して3年経っても部品設計に情熱が持てず、世の中に貢献できている実感を味わえないままで、すっかり自信を失ってしまいました。そして、ついに朝起き上がれなくなり会社に行けなくなってしまったんです」 精神科に行ったところ、医師から「その環境が向いていないのだと思う」と言われたこともあり、転職を決意。
転職するときに参考にしたのは自己分析だった
いろいろな診断テストやSPIなどの自己分析を繰り返し、自分にあった職種を探すことにした笹木さん。 「実際に自己分析をやってみると、研究職は向いていないという診断が出ていました。一方で広報やPR、営業が向いていると診断され、大企業が向いていないというのもわかりました。大手はすべてにカチッとした型があり、自由度が低いうえに自分がいなくても回っていく特性があります。私はそういった環境にも存在意義を見出すのが難しくなっていたんだと、自己分析で気づきました」 そこで思い出したのが、幼少期に助けられた医師の姿でした。 「私を助けてくれた医師のように、私も会社の救世主になりたい」 そう思って転職先を探していくことになります。 自己分析により、笹木さんが転職先に選んだ会社は大企業ではなく、まだ名の知れていない小さな会社でした。