リヴァプールでも主力ウイングになれた? 世代最高クラスの才能と考えられたオランダ人FWは「ベニテスとの関係は奇妙だった」
育成次第で化けた可能性も?
今月、元オランダ代表FWライアン・バベルが37歳での現役引退を表明した。 バベルといえば、2007年から4年間リヴァプールに在籍していたアタッカーだ。リヴァプールでのプレイからバベルを知ったという人も多いのではないだろうか。 [動画]アヤックス時代に見せていたR・バベルの可能性 当時アヤックスからリヴァプールへやってきたバベルには大きな期待がかかっていた。オランダから出てきた特別な才能と考えられてきたのだ。 しかし、リヴァプールでは主力になりきれなかった。リヴァプールでは4年で146試合に出場して22ゴール15アシストを記録したが、先発したゲームの数は65試合に留まる。期待通りのリヴァプール生活だったかは微妙なところか。 英『Liverpool Echo』によると、バベルも浮き沈みのあるキャリアだったと振り返っている。 「信じられないキャリアではあったけど、浮き沈みが多かったかな。プロになったばかりの頃、僕は同世代の中で最も優れた才能の持ち主の1人と評価されていた。幸運にもアヤックスのアカデミーでプレイし、その後リヴァプールにも移籍できた。リヴァプールでの僕に浮き沈みがあったことは分かっている。意見は五分五分といったところかな」 リヴァプールの育成も完璧ではなかったかもしれない。バベルは過去にリヴァプールでの日々をインタビューで振り返っていたことがあるが、その際には指揮官ラファエル・ベニテスとの関係が微妙なものだったと語っている。 「(当時の監督)ベニテスとの関係は奇妙だった。僕と契約した時、もっとチャンスをもらえるかと思っていた。しかし彼は僕のことを放っておくばかりで、改善すべき点はあるのか、解決策はあるのかなど指示を出すこともなく、僕の良くないところを批判した。僕はとても若かったから、指導を必要としていた。監督のせいにはしたくないけど、もっとサポート次第で良くなれたのではないかと思う」 ベニテス政権でリヴァプールはチャンピオンズリーグ制覇やFA杯制覇など成功も収めたが、バベルの育成には問題もあったか。その後バベルは2011年にリヴァプールを離れ、ドイツのホッフェンハイム、トルコのカスムパシャ、UAEのアル・アイン、スペインのデポルティーボ、イングランドのフラム、トルコのガラタサライ、古巣アヤックス、トルコのエユプスポルと各地を渡り歩き、スパイクを脱いだ。 リヴァプール退団後も良いキャリアを送ったが、バベルの言葉通りサポート体制が違っていればもう少しリヴァプールで長く活躍したかもしれない。
構成/ザ・ワールド編集部