「俺、プロでもやれるかも」 実業団からBリーグへ…小針幸也が安定した生活を捨て挑んだ理由
無名だった子どもの頃から信じ続けた自分の価値
市の選抜にすら入れなかった、「プロ」のプの字も思い描かなかった少年が、少しずつキャリアを積み上げ、10余年の時を経て国内トップカテゴリーのプロ選手として躍動する──。 まるで「わらしべ長者」のようなキャリアを歩む小針の、節目と言えるタイミングでの動向を簡潔にまとめてみると、驚くほどに同じことを繰り返していることに気づく。 すなわち、自分の価値を低めに見積もり、ここぞという場面でしっかり結果を残し、オファーをポジティブに受け入れ、自らのレベルを引き上げて新しい環境に適応していく。 小針はプロに至るまでの道のりを「ほぼ運」「直感」とごくごく簡単に括ったが、その大前提に間違いなく本人の努力が存在していることは補足しておきたい。 「なんか、自信はあったんです。『選抜とか入っていないけど、やれるでしょ』みたいな自信はずっとありました」 県内屈指の強豪である桐光学園高校からオファーを受けた時のことを、小針はこのように振り返っているが、チームの結果や周りの評価はさて置いても、マイペースに努力を重ねてきたからこそ自信があったのだろう。そして、その姿勢が以後のキャリアでも変わっていないことは、高校時代から節目節目で実施してきた彼への取材と、今回のインタビューを通して伝わってきた。 小針の言うように、人生は運やタイミングや縁といった、自分ではどうしようもないものに翻弄される。努力だけではどうにも叶わないこともある。それでも、何かを成し遂げようと思った時、目の前にぱっと現れたチャンスを簡単に掴み取るためには、月並みではあるが、やはり努力は欠かせない。 「自信を持ってほしい。本当にそれくらいですね。そして、自分の価値みたいなものを見失わないでほしいです」 小針は高みを目指していく子どもたちに、そうエールを送った。 ■小針幸也(こばり・こうや) 1999年5月18日生まれ、神奈川県出身。抜群のスピードを誇るPGとして頭角を現すと、桐光学園高校ではインターハイに出場。神奈川大学でも司令塔として活躍した。卒業後は東北リーグ所属の実業団であるJR東日本秋田ペッカーズに入団したが、2023年2月に当時B2の長崎ヴェルカに加入。Bリーグでのキャリアをスタートさせると、B1に昇格した2023-24シーズンは終盤にスタメンに定着した。川崎ブレイブサンダースへ今季期限付き移籍し、さらなる飛躍が期待されている。
青木 美帆 / Miho Aoki