“3本足の女優”が前向きに生き続ける理由。妊娠中の子どもを亡くした悲しみとともに
子どもを「なかったこと」にしたくない
妊娠中の喪失を公言しない、あるいは言及を忌避する風潮はたしかに強い。だが愛澤さんは、これからも発言をしていく。それにはこんな意図があるという。 「ひとつは、私の子どもを『なかったこと』にしないためです。それから、似た状況で悲しんでいる人たちが、『言ってもいいんだ』と思ってくれるように。お腹のなかで潰えた命だとしても、愛している我が子だという事実は変わらないし、悲しみを隠さなくていいと私は考えています」 苦しみや悲しみによって受傷した心は、簡単に癒えない。時薬――時間が薬――という言葉もあるが、回復するのに一生分の時間で到底きかない傷もあろう。気の持ちようだけで乗り切れない慟哭も存在する。だからこそ、愛澤さんは“演じる”のではないか。治ることのない障害、いじめによる不登校、我が子の死――女優として舞台に立ち続けることが、観る人を勇気づけると信じて。 「いつか必ず道は拓ける」――そう鼓舞し続ける愛澤さんでさえ、その開拓のなかば。だが必ず、多くの人々の魂を震わせる演劇の真髄に届くだろう。悲しみに打ち勝ったタフな人よりも、悲しみとともに生きる人にこそ、福音は訪れる。 <取材・文/黒島暁生> 【黒島暁生】 ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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