“3本足の女優”が前向きに生き続ける理由。妊娠中の子どもを亡くした悲しみとともに
一緒に移動してくれる人が誰もいない
いじめではなく、一緒に遊んでいるだけ。そう思い込もうとしても、ふとしたときに現実を直視する。 「中学校の専科の授業は、教室移動があるじゃないですか。そのとき、私と一緒に移動してくれる人が誰もいないんですよ。一人で松葉杖をついて、時間をかけて移動するしかない。結局、戯れていたのではなくて、いじめられていたんだなって認めるしかないですよね」 その辛さに向き合う日々に疲れ果て、愛澤さんは不登校になった。 「最初は元気に『いってきまーす』って家を出るんですが、ある地点までくると身体が進まないんですよね。教室移動の授業がある日、『もう休もう』と決めました。家族は、特に『行きなさい』とは言わなかったですね」
「養護学校への進学」が転機に
結局、中学校2年生の途中から不登校になり、健康面に課題を抱える子どもたちを多く入院させている病院の院内学級で中学校卒業を迎えたという。高校以降の進路についても、かなり頭を悩ませた。 「普通の高校への進学は諦めていました。定時制高校に進学しようかとも思いましたが、中学校時代の先生から肢体不自由を伴う生徒が多く在籍している養護学校への進学を勧められました。正直に言うと、最初はかなり戸惑いました。自分が障害者だという事実と向き合うことを、避けていたんだと思います」 だが愛澤さんは入学し、この選択を「正解でした」と心底からの笑顔で語る。尊い出会いがあったからだ。 「高校で『ヘレン・ケラー』のお芝居をする機会があったんです。主役のヘレン・ケラーをやらないかと担任から打診されたときは、絶対に無理だと思いました。それまで精神状態が閉じこもりがちだったこともあって、人前に立つなんて恐れ多いと思ったんです。それに、私はセリフを暗記するのが苦手だったんです」
健常者に生まれ変わったら…と思っていたが
だが最終的に愛澤さんは打診を引き受け、喝采を浴びた。その理由について「セリフが『ウォーター!』だけだったから(笑)」と茶目っ気たっぷりに話すが、もちろんそれだけではない。 「先生たちが私に向き合って『主役を任せたい』と思ってくれたなら、引き受けたいと思いました。学生時代を思い返しても、初めて周囲の人から褒めてもらえた体験かもしれません。そのとき、演劇の持つ力を知って、携わりたいなと思ったんです」 とはいえ、すぐに女優の道へ進もうと決めたわけではない。当時は、こんなふうに考えていた。 「舞台やドラマを見るのは昔から好きでしたし、高校時代のお芝居での成功体験も自分のなかの宝物です。でもそれは養護学校の生徒として演じたから褒めてもらえたんだと思っていました。それこそ、『健常者に生まれ変わったら女優を目指したい』くらいに考えていて、今この身体でやれるとは思っていなかったんです」 それでも女優として踏み出した背景には、自分の“今の姿”で伝えたいことがあるからだという。 「私は脳性麻痺という障害がありますが、世の中には病気以外にもつらいことがごまんとあります。人ぞれぞれ辛いことを抱えながら生きています。私がそうであったように、ときに人生の意味がわからなくなってしまう場面もあるでしょう。でも、必ず陽のあたる道に繋がっているんだと信じて、私も今日まで生きてきました。私の姿をみて、何かしら感じるところがあれば、心から嬉しく思います」