災害前から備える「事前復興」 行政支援をあきらめた100人集落にヒントを求めて
「防災が目的」ではなく、「防災『も』目的」
「事前」とはいえ、東日本大震災の被災地ではなかなか実現しなかった住民主体の復興を着実に進めている伊座利だが、時に問われることがある。 「100人の小さな集落だからできるのでは」―― しかし、草野さんはきっぱりと否定する。 「100人といっても、同じ人は一人としていない。百人百様、十人十色の考え方を持った人が伊座利にはいる。みんな日常はバラバラ。でも、その違いを認めること。子どもも大人も、みんなが対等で、それぞれの違いを認める地域社会をつくっていくことが大切なんです」 「事前復興とは、防災だけが目的なのではありません。防災『も』目的なんです。日常の生活をどうやって良くしていくか、豊かにしていくかということのためにあるべきなのです。一人ひとりの日常の生活を大切にしようという考えに、人口が多いか、少ないか、都市か、集落かなんていうことは関係ありません」 草野さんが話す「日常の生活が大切」といった思いは、徳島大学の井若研究員の考えにも共通する。 「日本各地に、自然災害のおそれがあって、それでも、そこで幸せな暮らしをしている人たちがいるわけです。そういった無数の幸せな暮らしを『大切』に考え、みんなで守っていける社会というのが、本当に豊かな社会。それが私の価値観です。防災研究者の私が、あえて津波が来るところに移り住んでいるのは、そういう社会を実現したいと考えているからなのだと思います」
第一は「人間の復興」
およそ100年前の1923年9月。関東大震災によって、東京は焼け野原となった。大規模な道路整備や土地区画の整理などを盛り込んだ復興計画を進めようとした内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平に対し、大正デモクラシーを牽引した経済学者で東京商科大学(現一橋大学)教授の福田徳三は異を唱えた。 「復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬと主張する。人間の復興とは、大災によって破壊せられた生存の機会の復興を意味する。今日の人間は、生存する為に、生活し、営業し労働しなければならぬ。即ち生存機会の復興は、生活、営業及労働機会(此を総称して営生の機会という)の復興を意味する。道路や建物は、この営生の機会を維持し擁護する道具立てに過ぎない。それらを復興しても、本体たり実質たる営生の機会が復興せられなければ何にもならないのである」(『復興経済の原理及若干問題』同文館、1924年・復刻版2012年) 「人間の復興」と呼ばれる福田徳三のこの理念は、「一人ひとりの日常生活を大切に考えている」伊座利の事前復興の取り組みに、時代を超えてつながっている。そして、それは災害の前か後かに関係なく、さらに言えば災害の有る無しにも関係なく、常に第一に考えなければいけないことなのではないだろうか。 飯田和樹・ライター/ジャーナリスト(自然災害・防災)