「クラスメイトから無視され自己嫌悪になった」丸山礼さんが若者の“お悩み相談“をする理由 #今つらいあなたへ
逃げ込んだのは保健室。劣等感をプラスに変えてくれた
――そういった悩みを相談できる相手はいましたか? 先生に相談はしたのですが、「自分で解決できるでしょ?」って言われてしまって。「あれ?」みたいな。助けてほしい人に助けてもらえなかったっていう感覚を、今でも強く覚えています。幸いだったのは母が「学校に行きたくなければ、行かなくてもいいよ」という人だったんです。そうやって母はいつでも私の気持ちに寄り添ってくれていたから、そこは救われました。「人生の長さに比べたら、学校にいる時間なんてほんの数秒だよ」とも言ってくれて。そのときはすごく毎日が長かったけど、今思うと確かに一瞬だったなと思いますね。 ――結局、そのつらい時期はどうやって終わったのでしょうか? 中学2年の修了式の日に、中心になって私を無視していた子に自分から謝ったんです。勇気を出して「ゴメンね」って。誰かに嫌われたまま3年生になりたくなかったんです。結果的にその子も謝ってくれて、2人で号泣しながらハグして、なんなくそれで終わりになりました。 だから中学3年になると、その謝った子とも普通に接していたんですけど、やっぱり複雑な思いもあって。向こうから話しかけてこられると「あんなに無視してたのに、こうやってすぐ喋れるんだ」と思っちゃうんですよ。でも、彼女に対して「絶対に許さないぞ」みたいな気持ちもなくて。それは母親が「誰かに意地悪をするのは、その人自身が不安でしょうがないから」と教えてくれていたからだと思いますね。「いじめをするような人は、きっといつか不幸になる。自分で自分の首を絞めてるね」とも言っていて。だから、仕返しをしようとは考えないようにしていました。それよりも、私が幸せに生きることが一番だと思ったんです。 ――お話を伺っていると、お母様に支えられる部分が大きかったのですね。 そうですね。あとは高校時代の保健室の先生です。高校では生徒会長を務めたり、モノマネでみんなを笑わせたり、ある種の人気者ではあったんですよ。けど一方で、劣等感も強かったし、勉強のことや将来の進路について悩むことも多くて。中学と同じように、クラスメイトの一人に無視されるようになることもありました。色んな感情がぐちゃぐちゃになって、学校のトイレでえずくくらい泣くことも、よくありました。そんなときに、唯一逃げ込める場所が保健室だったんです。 保健室の先生は、とにかく気の済むまで泣かせてくれて。今考えると、自分の思いを全部吐き出してごらんっていう状況をつくってくれたことがとてもありがたかったです。「あなたはあなたの良いところを伸ばしていけばいい」と言ってくださったことも、すごく励みになりました。ダメなところを打ち消そうとするんじゃなくて、物怖じせず人の前に出られる勇気とか、誰かを楽しませたいと思う性格とか、そういう自分の良いところをどんどん磨いていけばいいんだと思えるようになった。それですごく心が楽になりましたね。