地域振興?鑑賞?映画祭は何のため? 「若手監督育成」掲げる映画祭とは
特集で上映後、鼎談(ていだん)を行った白石監督、中野監督、坂下監督は、同映画祭で受賞したこと以外は、映画祭に応募するまで、受賞からデビューまで、本当に三者三様。
白石監督は助監督として現場経験を積み、満を持して脚本を開発していたデビュー企画が、ひょんなことから頓挫する厳しさを味わった。そのことへの穴埋めのようにインディペンデント作品の制作に資金が集まり、『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を撮影。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭に応募した。
中野監督は、助監督経験もあったが、なんとしても40歳までに商業映画監督デビューするという固い決意で、貯金と借り入れた資金をもとに、背水の陣を敷いて『チチを撮りに』を撮った。だがこの作品を配給してくれる映画会社はなく、海外の映画祭に応募するも通らず、ここでも退路を断たれたまま、SKIPシティの映画祭に応募したのだという。
坂下監督は、大阪芸術大学を卒業後、大学の助手を経て、東京藝術大学大学院映像研究科に入学。その卒業制作として撮影した『神奈川芸術大学映像学科研究室』を、皆がすなる“映画祭応募”をしてみむとてするなり、と応募し、ノミネートされた。 鼎談は、トークショーだけでなく、映画祭パンフレットのためにも行われた。そこでは、資金の心配も下積み経験もなく、とんとん拍子に映画祭受賞、プロデビューした坂下監督を二人が“ポッと出”と“イジる”場面もあった。そういった言葉遊びを散々重ねたあとに、中野監督はこういっている。
「ポッと出ることはできても、2作目を撮ることは難しい。実力、経験、そして運も必要。坂下監督はそれができている」。坂下監督が「ただのポッと出じゃないと?」とひょうきんに受けると、今度は白石監督が「ポッと出にすらなれないことのほうが多い」とその難しさを言葉にする。「まずはポッと出になれ!」。そう坂下監督は飄々と受ける。3人の笑いが大きく弾けた。日ごろからよく集まって話す間柄ではないが、根底には映画祭を介した同士的な思いがあるように感じた。 受賞時の賞に付与された特典の違いについて、「ズルい」などと子どものように言い合いながらも、映画祭が各人にもたらしたものにより、少なからず現在の自分があり、そのことが今後、プロになる意志を持って映画祭に臨む人々へつながればいいと真剣に思っている。だから忙しい合間を縫って、映画祭に参加し、自分の言葉で、とはいえ照れ隠しに笑いにまぶして重要なメッセージを送り出すのだ。