「また落ちてしまった…」53歳で司法試験に合格したノンフィクション作家がぶつかった「最初の壁」
だんだん顔つきが鋭く……
早急に知識のレベルを上げつつ、復習、課題、予習もこなさなければならない。しかも、土曜日、祝日、お盆、たとえ連休だろうが、ロースクールの授業に休みはない。 曜日の感覚が狂い、世間離れした生活に磨きがかかってくる。 生活のための仕事に加え、本の執筆作業もあった。私は長年にわたって中国東北部(旧満州)からの引揚者を取材していたのだが、ロースクール入学の翌年2月に締め切りの「開高健ノンフィクション賞」にエントリーしようと決めていたため、急ピッチで本1冊分の原稿をまとめなければならなかった。さらに前述の親族との裁判も続いていたから、まさに目が回る忙しさである。 週に何度もスーパーへ行く時間がないから、メニューの決まっている食材を1週間ごとに宅配で取り寄せるようにした。自炊の際はすさまじい勢いで食材を切り、すべてをひとつのフライパンで調理する。片づける時間もないから、使い捨ての紙の皿や割り箸を使い、フライパンや鍋から直で食べるのも覚えた。 司法試験の勉強をしていると、脳がエネルギーを欲するのか、ストレスなのか、ものすごく食欲がわく。しかも、脂っこいもの、肉が食べたくなる。外で勉強した帰りには、それまで入ったことのなかった定食屋に立ち寄り、急いで食べる。料理待ちの間はもちろん、暗記作業である。 リモートワークやオンライン授業によって、時間的・体力的に救われた部分は大いにあったものの、だんだん顔つきが鋭くなってきた。 「司法試験を受ける」。かつて、フリーライター兼派遣社員の私がこう言ったとき、無理だろうという反応がほとんどだった。ところが、いつの間にか、そんなふうに言った人たちは自分のまわりからいなくなっていた。
いざ司法試験へ
司法試験の受験資格は5年間、最大5回受けられる。試験期間は中日を入れて5日間にわたって行われ、初日に論文3科目、2日目に論文3科目、3日目は休み、4日目に論文2科目、5日目に短答3科目の試験が実施される。 2022(令和4)年3月、私は日本大学法科大学院を無事修了した。しかし、その約2カ月後に行われた司法試験には勉強が間に合わず、4点差で短答に落ちてしまった。 司法試験の短答は憲法、民法、刑法の3科目で、合格点は年度によって異なるが、175点満点のおおむね53%~62%である。ただし、1科目でも40%未満の点数を取ると、3科目の合計点で合格点を上回っていても不合格となる。 短答を通過しないと、せっかく書いた論文8科目は採点すらされない。ショックではあったが、自分の中では本格的な受験生活はここからだった。 夏から予備校の答練(論文の答案を書く練習会)に通い、秋からはふたつの予備校、ロースクールのゼミで答練を受けた。本番と同じ1科目2時間(選択科目は3時間)で、初見の問題を解き、最大8ページも手書きで書き続けるのだ。利き手の指や手首、肘を痛めてしまい、バンドエイド、湿布が欠かせなくなった。 実践練習とともに、理解をともなう暗記も大事だった。論証部分や文言の定義などは即座に書けなければならない。私は予備校のいわゆる「論証集」に加え、パワポと張り紙作戦に出た。わかりにくい判例、覚えられない論証などをパワポに書き出して、ときどきパソコン上で流し読みする。 さらに印刷して、家中の壁という壁にぺたぺたと貼っていった。そうすれば毎日、自炊中、歯磨き中、化粧の途中でも、壁を見て「ながら勉強」できる。 短答は着手する心理的ハードルを下げようと、ぶ厚い過去問題集を裁断して、薄い冊子版を持ち歩き、少しずつでも解くようにした。混同しやすい仕組みや判例は、科目ごとにワードファイルに書き出し、パソコン上でも見られるようにする。小型のノートにも覚えられない知識をメモして、論文の勉強の合間などに目を通した。 直前期にはよく間違う問題のページをびりびりと破って、集中的に解いた。全問できるようになれば、そのページは除けておき、徐々に枚数を減らしていく。司法試験本番のときは、当日の朝の2時間、電車の中、トイレ待ちの間まで、絞り込んだ「びりびり作戦」の問題をくり返し解いた。