コロナ禍に出た「自分の甘さ」、大学で逆境に立たされて克服 ロッテ育成3位の富士大学右腕「神宮では150キロ以上出せる」
「プロ一本」の覚悟決め、芽生えた危機感
光は見えてきた。とはいえ台頭が遅かったこともあり、大学卒業後の進路は明確になっていなかった。安田監督も「3年夏の関東遠征で良い投球ができず、僕自身、社会人野球を含めて上でやるのは難しいかなと思っていました」と明かす。 プロへの扉が開きかけていた高校時代とは正反対の状況。当時は「甘さ」が出てこじ開けられなかったからこそ、逆境に立たされた大学では自身に「厳しさ」を課した。「プロにいくためにはひたすら伸ばし続けるしかない。進路先が決まっていなくて焦っていた分、最上級生になってからも『ゆっくりしていられない』という気持ちで上を目指す姿勢を貫くことができました」 今年の春先に「プロ一本」を決意し、退路を断った。平均球速を上げつつ、青山学院大戦を反省材料に「球速以上に速く感じる真っすぐ」を追求。課題だった制球力や変化球の精度も磨き、4年時のリーグ戦は先発でも結果を残した。
ドラフト指名を勝ち取り、残すは「日本一」
そして迎えた歓喜の瞬間。「結構な人数のチームメートが一緒に指名を待っていてくれたので、自分の名前が呼ばれた時はホッとしました」。導いてくれた安田監督と熱い抱擁を交わした。 同じ投手で下級生の頃から切磋琢磨(せっさたくま)した広島2位・佐藤柳之介(4年、東陵)、ソフトバンク3位・安徳駿(4年、久留米商)は支配下で上位指名を受けた。「球速は同じでも(投球の)内容が違うので」と謙遜しながらも、「でも、二人の存在はとても大きかったです。プロに行くまで一緒に練習しながらたくさん吸収して、プロでは同じ球場で投げ合って追い抜けるよう頑張ります」と闘志を燃やす。 ドラフトから2日後にあった明治神宮野球大会の東北地区大学野球代表決定戦初戦では先発登板するも、思うように球速が出ず3回2失点で降板。その後フォームを修正し、大会直前のオープン戦では「神宮では150キロ以上を出せると思う」と自信をのぞかせた。 「あとは日本一を取るだけ。真っすぐ一辺倒にならず、いろんな引き出しを使ってゼロに抑えることに執着して投げたい」と長島。高校では最後に伸び悩んだが、大学では後半にかけて急成長を遂げた。学生野球最後の大舞台で有終の美を飾り、成長を証明してみせる。
川浪康太郎