「新歓で受けた悪質なドッキリ」にげんなり…国立大を1年で休学した男子学生が、東京藝大に通うまで
インターネットを通じてさまざまな情報やコンテンツに触れられるようになり、誰でも気軽に発信することができる社会になった今、デジタルネイティブなZ世代の若手アーティストたちは、かつてない自由な表現の世界で多様な形で活躍を魅せている。 本連載では、同世代でアートについて学び、表現している1人として、大学院に通いながら自身で立ち上げたアイドルグループのプロデューサー兼メンバーとして活動している私、えんじてゃ(@noidol_teya)が彼らの物語に耳を傾け、アートが彼らの人生にどのように絡み合うのか? また直面する苦悩や、創作を続ける理由に迫る。 ⇒【写真】東京藝術大学芸術学部デザイン学科に所属する流太さんの作品 今回話を聞いたのは、東京藝術大学芸術学部デザイン学科に所属する流太さん。言わずと知れた日本最難関の美術大学に通う彼は、もともとは静岡大学に通っていた。絵を描くことも趣味ベースで、美術予備校に通うまでは未経験だったという。国立大学に通っていた彼が“安定した人生”を投げ打ち、アートに向き合うようになった過程に加え、現在の生きざまについて語ってもらった。
「偏差値の高い高校」へ進学し、美術の道から遠ざかる
初めて絵を描いたのはいつなのかと尋ねると、少し悩む様子を見せた。小学生の時には既に絵を描くのが好きで、得意だったという。物心ついたころからひとりでに絵を描いていた流太さんは、こんなふうに自分を俯瞰する。 「東京藝大の教授も言っていましたが、藝大生は『幼少期から大人になるまで、自身の創作に対してたまたま批判的な意見を受けなかった人たちの集まり』なんですよ。もちろん自分もそのなかのひとりで、周りに自分の作ったものを褒めてくれる人が多かったんです。運動が苦手だったこともあり、絵を描くことは、自尊心の形成に重要な役割を担っていたと思います」 だが、中学生時代に学業成績が優秀だった流太さんは、地元である島根県内の「偏差値の高い高校」へ進学した。これまで絵に親しんできた人生はそこで一時停止し、美術の道から遠ざかっていく。