75ベースの「四角い」シルエット アルファ・ロメオRZ(1) ひと塊のチーズのよう?
本当に四角いルーフラインのないサイドビュー
狂気のカタチかもしれないが、確かに魅惑的でもある。イエローのボディカラーと、イタリア製という背景も重なって、ひと塊のチーズのよう、と表現しても的外れではないように思う。 【写真】「怪物」の異名を持つ衝撃の姿 アルファ・ロメオSZ/RZ ブレラと8C、4Cも (120枚) スピードメーターの針は、グレートブリテン島ならパトカーに追われるような数字を指している。だが、この小さな島なら許されるだろう。300km/hオーバーの市街地レースも開かれている場所だ。 風光明媚なマン島を走るのは、アルファ・ロメオRZ。幸いにも好天に恵まれ、ソフトトップは全開だ。ルーフラインのないシルエットは、本当に四角い。普通のクルマとは、一線を画すことは間違いない。 このアルファ・ロメオが開発された1980年代後半は、日産との協力関係が終わった時期と重なる。約15年ほど続いたが、結果として発売された量産モデルは、日産チェリー(パルサー)をベースにしたハッチバックのアルナだけだった。 これには、アルファ・スッドの水平対向4気筒エンジンが載っていた。しかし完成度が優れたとはいえず、短命に終わった。日産プレーリーのアルファ・ロメオ版が作られたら、売れただろうか。提携関係は1986年に解消され、フィアットの傘下へ移っている。
シャシーやランニングギアは75から流用
混迷の時期でも、ブランドイメージの維持には、モータースポーツとの結びつきが不可欠だった。アルファ・ロメオは、1979年からF1に参戦。マシン設計にはマリオ・トレンティーノ氏なども関わりつつ、目立った戦績を残さないまま1987年に撤退するが。 ツーリングカー・レースのグループAには、サルーンのアルファ・ロメオ75が挑んだ。とはいえ、安定した強さは示せていない。 これと前後し、フィアット傘下になったことで資金繰りは改善。歴代最高のフラッグシップモデルの開発計画が立ち上がる。予算は充分ではなかったかもしれないが、手元には技術の結晶が残っていた。大胆な手法を選べば、量産車に展開できるものだった。 プロジェクトES30と命名された計画には、ファクトリーチームのアルファ・コルセと、カロッツェリアのザガート社も参画。このES30は「エクスペリメンタル(実験的)・スポーツカー 3.0リッター」の略で、19か月後には量産モデルのSZが導き出された。 シャシーやランニングギアの多くは、既存の75から流用された。ここには、1987年の世界ツーリングカー選手権や1988年のジロ・デ・イタリア・レースへ向けて開発が進められていた、レーシングカー仕様の部品も含まれた。