75ベースの「四角い」シルエット アルファ・ロメオRZ(1) ひと塊のチーズのよう?
過去のどんなモデルにも似つかないクーペ
フロントサスペンションは、75と同じダブルウイッシュボーン式。だがトーションビームではなく、コイルスプリングが支えた。リアはドディオンチューブとトレーリングアーム、アンチロールバーという組み合わせだ。 関節部分には、ゴムブッシュではなくピロボールを採用。ネガティブキャンバーで、コーナリングフォースに備えた。 ウェッジシェイプのボディパネルは、SZのために新しく開発されたメタクリル樹脂で成型。75由来のシャシーに溶接した、スチール製のスケルトンフレームに固定された。 フォルムはスクエアだが、フィアットの風洞実験施設でテストが重ねられ、空気抵抗を示すCd値は0.30と優秀。一般的に、SZのスタイリングはザガートによるものだと考えられているが、実際はアルファ・ロメオの社内デザイナーが仕上げている。 デザイナーのロバート・オプロン氏とアントニオ・カステッラーナ氏の2人は、過去のどんなモデルにも似つかない、オリジナルのクーペを描き出した。以降のモデルを含めても、これほど賛否両論を呼んだアルファ・ロメオは存在しないといっていい。 発表は、1989年3月のスイス・ジュネーブモーターショー。華々しくブースに展示されると、あっという間に否定的な意見が渦巻いた。 見た目を酷評する自動車メディアも多かった。ジャーナリストの1人、ラッセル・バルギン氏が、ドクターマーチンのブーツのようだと批判したことは英国では有名だ。
新たに成型されたRZのボディパネル
他方、SZを理解する人は、熱烈といえるような称賛を送った。話題性は小さくなく、理想的な露出も導いた。実際、多くのメディアの紙面を飾っている。 それでも、アルファ・ロメオが多くの受注を集めることはできなかった。マーケティング的には、成功とはいえないだろう。新車時の英国価格は4万5000ポンドと、間違いなく高価でもあった。 SZの生産を請け負ったのはザガート社で、設定されたボディカラーは、レッド/グレーのツートーンのみ。ただしアンドレア・ザガート氏は、自身のための1台をブラックで仕上げている。生産数は1036台で、そのうちの38台はプロトタイプだった。 少なくない数が、投機目的で購入されたといわれている。ところが、その後の世界的な不景気により、狙い通りの利益は得られなかったようだ。 SZは1991年に生産が終了する一方、アルファ・ロメオは以前からスパイダーの開発も進めていた。翌1992年のフランス・パリ・モーターショーで、RZが発表される。これには、ルーフを切り取った以上の改良が施されていた。 メカニズムはSZと基本的に同一ながら、ボディパネルの多くは改めてデザイン。フロントフェンダーとトランクリッド以外、新たに成型されたという。当時のアルファ・ロメオは、400か所以上の違いがあると主張している。 この続きは、アルファ・ロメオRZ(2)にて。
リチャード・ヘーゼルタイン(執筆) マックス・エドレストン(撮影) 中嶋健治(翻訳)