「3分間だけ時間をください」トゥレット症の僕を変えた授業前のスピーチ
一時期は不真面目な学生の姿を見ると、正直、裏切られたような気持ちに駆られることすらもありました。いまから思えばそれぞれ違いがあることは当たり前だったのかもしれませんが、当時の僕はそれだけ福祉の夢に強い気持ちを抱いていたためか、みんながみんなそうではないということにそこではじめて直面し、戸惑いをおぼえたのです。 病気もなく、障害もなく、大学生活を満喫する学生たちと、僕が同じ土俵に立って勉強するためには、そんな彼らよりも努力しなければならない。 大学に入り、高校までとあまりに異なる環境とはじめての経験に戸惑い、ストレスを感じていると、次第に「なんで僕にだけ病気があるんだろう」「この人たちの何倍も自分は努力しているし、真面目に物事に取り組んできたはずなのに、なんでこの人たちは病気を持たずに生まれてきたんだろう」「僕は周囲の助けを借りながら自分でこれまでの暮らしを組み立ててきたのに、周囲のみんなは苦労することなくこの生活を得られているのだ」との答えの見当たらない想いが、ふつふつと湧いてきました。 それと同時に、「この世界はなんて不平等なんだろう」と思うことも増えました。
現在ではもうほとんどなくなりましたが、大学在学中は、この「他人と比べてしまうこと」による葛藤に、何度となく悩まされたと思います。 ● 1人でも多くの味方を 作ることの大切さを実感 そんな状況を打開してくれたのが、大学の教授やスタッフの存在でした。 最初は戸惑ったり、イライラしたりすることばかりの大学生活でしたが、先生たちと相談しながら、さまざまな工夫を取り入れることで、次第に環境を整えることができたのです。 そのひとつが、先ほども書いた、最初の授業での3分間の自己紹介の時間です。 病気を持ちながら授業を受けているという事情を受講者に向けて周知することで、僕が突然大きな声を出しても不思議がらずに授業を受けてもらえるようになりました。 そのほか、大学時代に特に助かったのは、自由に休憩を取らせてもらえるように、先生にお願いしていたことです。 たとえば、小・中・高と、僕はよく保健室に行っていました。保健室は、よほどのことがない限りは相談を聞いてもらえるし、仮に授業中に状態が悪くなっても、いざとなったら逃げ込める「場」にもなってくれます。そういう「逃げ場」を用意しておくことで、気持ちに余裕が出て、チックが軽くなります。 ただ、大学にはそうした「逃げ場」となる保健室はありません。