「3分間だけ時間をください」トゥレット症の僕を変えた授業前のスピーチ
僕の通っていた桜美林大学は門戸が広く、学生数は1万人を超える大きな大学です。大学側の体制は整っていて、本当にすばらしい大学ですが、学生数が多いということは、逆に言えば非常にさまざまな人がいるとも言えます。 もちろん大半の学生はそうではありませんでしたが、なかには、高校時代までとは違い、僕が自分の病気のことを伝えても、うまく理解してくれない人にでくわすという事態も多々経験しました。 たとえば、僕は高校時代に先生と交渉して授業から外れやすく、みんなの邪魔になりにくい「指定席」を用意してもらっていましたが、大学でもそれと同じような対応をしてもらっていました。 しかし、あるときなどは、その席に知らない男子生徒が座っていたので、「実は僕はこういう病気があるので、この席を譲ってほしいんだけど」と伝えると、なんと鼻で笑われてしまったのです。 そんな嘘のような目に遭うと、率直に「こんな人もいるのか!」と驚きました。いまから振り返ると、高校のころまでに出会った同級生たちを念頭に置いていたので、「病気のことを伝えれば、ある程度は相手の人にもわかってもらえるものだ」と僕のほうでも思い込んでいたのだと思います。
そして、そんな周囲の優しさに支えられてきたからこそ、自分は他人とは違う病気を持って生まれて来たけれども、自分の運命を恨むことなく、受け入れて生きてこられたのでしょう。 しかし、大学でのこうした体験を通じて、「これまで僕は周囲の人が優しい人ばかりで、そのなかでずっと守られて生きてこられただけだったんだ」と知りました。 世の中には、そうではない人もいるし、他人の病気を知っていたとしてもなんとも思わないような人さえもいる。大学に入って、はじめて本当の意味での“外の社会”にさらされたことは、本当に大きな衝撃でした。 ● 「この道しかない」自分と 周囲との勉強姿勢のギャップ また、同じ講義を取る学生たちと僕の間で、勉強に対する姿勢にギャップがあったのも戸惑いの原因になりました。 高校時代に思い悩んだ末に、「この道しかない!」と福祉の道に入ることを決めた僕は、とにかく真面目に講義を受けて、カウンセラーになりたいという想いでいっぱいでした。大学に行ったら、自分と同じように福祉の道に夢を抱く学生ばかりなのだろうと、ワクワクしていたのです。 でも、いざ大学に行ってみると、同じような想いを持つ人にもたしかに出会いましたが、一方で、それぞれの学生が抱いていた将来への想いや福祉への関心には濃淡があると感じたのも事実でした。