【コラム】ずっと待ち続けた“強過ぎるバルセロナ”の復活!このクラブを知らないフリックが仕掛けた素敵な裏切り
バルサの完全復活にカタルーニャ出身記者が思うこと…
文=ルジェー・シュリアク/Roger Xuriach(スペイン『パネンカ』誌) 企画・翻訳=江間慎一郎 “エントルノ(entorno)”はスペイン語で環境、周囲の状況、雰囲気を意味する単語だ。1992年、ヨハン・クライフはこの単語を、フットボールに関係するものとして使い始めた。 あれは“ドリーム・チーム”と称されたクライフ率いるバルセロナが敗戦したときのこと。彼はクラブ首脳陣やメディアが介入すべきではないところまで口を出してくると声を張り上げた。誰もがチームについて好きなように意見を言い、誰もが自分たちの意のままにしようとするために、バルサの“エントルノ”……つまりバルサを取り巻いている環境はあまりに耐え難いものだ、と。 1968年に生まれたクラブのスローガン“メス・ケン・ウン・クラブ(カタルーニャ語でクラブ以上の存在の意)”は、その当時から急進的民主主義の側面があり、ありとあらゆる意見と批判を垂れ流しにしていた。バルサではすべての動きが賛否両論となり、物議を醸すことになる。片やレアル・マドリーは、クラブの方向性を決める人間がフロレンティーノ・ペレスしかいないために、どんな齟齬も存在していないというのに(……それはそれで問題もありそうだが)。
■“何も知らない”フリックの到着
ハンジ・フリックはまるで幽霊のようにバルサにやってきた。“エントルノ”という怪物を、まったく警戒することなく……。彼はバルサのことを知らなかった。バルサでプレーした経験はなく、クラブ首脳陣や取り巻きのメディアとどのような関係も持ったことがなかった。ただただバルサを称賛する気持ちがあったために、チームを率いることを決めたのだ。 そんな無垢なフリックに対して、もちろん“エントルノ”はその牙を研いでいた。バルサ会長ジョアン・ラポルタが仕掛けたチャビ・エルナンデスの滑稽過ぎる解任劇(一度慰留してから、すぐに解任)は、人々にとって痛々しい記憶のままだ。だからこそ後任監督がひどければひどいほど、もっとヒステリックな騒ぎが生じることになる……。その点でフリックは、格好の餌食としか言いようがなかった。メディアがチャビ後任の本命としてきたのはクロップであり、カタール・ワールドカップのグループステージでドイツ代表を敗退させて、その後無職の日々を過ごしていたドイツ人監督は、皆にとって“期待外れ”の新指揮官だった。 だがしかし、フリックはその期待を裏切った。裏切ってくれた。今季のバルサはラ・リーガ第10節までを9勝1敗で終えて首位を走り、チャンピオンズリーグではこれまで6連敗中だった天敵のバイエルンを4-1で撃破。公式戦13試合で43得点と、1試合平均で3.3得点を決めている衝撃的な暴れっぷりである。 オランダ人の流派に属さず(ライカールト、ファン・ハール)、バルサでプレーした経験がなく(グアルディオラ、ルイス・エンリケ、クーマン、チャビ)、重鎮の選手が招聘を了承したわけでもない(ヘラルド・マルティーノ、エルネスト・バルベルデ)、いわば“モグリ”の監督がバルサで即座に居場所を手にした……。私たちは今、バルサの厄介極まりない“エントルノ”に亀裂が入るのを目撃にしている。1年前からタイムスリップしてきたクレ(バルサファン)に説明しても、にわかには信じ難い話だ。