圧倒的な迫力…古川日出男が「日本最古の大長編」を現代に転生させて生み出した衝撃の新作
現代語訳を手掛けた「平家物語」がアニメ化され、大きな話題となった作家・古川日出男さん。 現代文学の最前線を疾走しながら古典の世界を深く探究する作家が、新たな注目作、『超空洞物語』を生み出しました。その主人公は、須磨に流寓した「光源氏」…!? 「源氏物語」に影響を与えた日本最古の大長篇「うつほ物語」の巨大な迷宮をたどりながら、物語の起源へと遡っていく驚異の新作は、どのように生まれたのか。著者自身による本書の創作秘話を、「群像」2024年12月号より転載してお届けします。
超うつほ創作秘話
この『超空洞物語』という本を脱稿した直後に神秘的な現象が起きた。 当時はこの小説は『うつほ物語』といって、それは「群像」二〇二四年八月号に一挙掲載されるために書かれていて、一挙掲載される原稿は当然ながら一挙執筆されなければならないと自分は捉えていて、実際にほとんどそうした。ほとんど、というのは物語の類いに“入りっぱなし”だと人は向こうに行ってしまうからで、その向こうというのは常識外の世界でもあるし異界でもある、もしかしたら神隠しに遭う他界かもしれない、いずれにしても容易には戻ってこられない。それを回避するために、具体的には「四日間か五日間籠もっては、現実=日常世界に戻る」というスタンスを採った。ちなみに『うつほ物語』のうつほというのは空洞のことなので、自分は壁に掛けたカレンダーに壺の絵を幾つか描いて、「その期間は、その壺(の内部のうつほ)に籠もる」とイメージした。かつ実践した。 ただ、すでに季節は来るべき猛暑を予感させていて、まだ五月下旬や六月頭の頃でも、エアコンは要った。冷房のかけっぱなしはさまざまな意味で無駄なので、自分は除湿のモードを採用していた。つまり「ドライにしっぱなし」だった。そして、ある日、自分は壺の内側で叫び声を上げた。その『うつほ物語』─のちの『超空洞物語』─を脱稿したのだ! ザッと読み返す。いい感じだと思った。興奮しているので外へ出た。まだ陽があった。歩いて歩いて、作中でも重要なモチーフとなる竹藪の散策などもした。それから腹が減っていることに気づいて、歩いて歩いて三キロほど歩いて、隣り駅のタイ料理店に入った。パッタイに自分で魚醬を足して味つけし直して、ああ俺味だなあ、と感極まりつつ完食した。そして歩いて歩いて歩いて、自宅へ戻り、仕事部屋にも入って、そこに原稿があるのを確認し直した。原稿は山のように積んであった。自分は原稿用紙に手書きしたのだ、その『うつほ物語』を。いろいろ思うところがあって万年筆は使わず、ガラスペンと濡れ羽色のインクで全篇を書いた。そういう手書きの原稿は、積み重ねるとこんもりしている。物質感というのは意外にそんなところに現われる。 ちなみに二つほど余談の註記をつけると、古典の『うつほ物語』というのは実在している。かつ、自分は現代語訳をやったわけではない。それと原稿用紙だけれども、普段はそれぞれの出版社からもらっているのだが今回は自分で紙屋さんに発注した。そこでオリジナルの原稿用紙を作って作品執筆すると「文学賞がとれる」という神話があるのだ、とその紙屋さんのホームページにあったので、神話が実証されるか崩壊するかは一年ほどの時間をかけて検証したい。 で、何の話だったか。そうだ自分は『うつほ物語』を脱稿して、夜、帰宅して仕事部屋にも入り直したのだった。やがて『超空洞物語』に生まれ変わる作品の原稿用紙は、きちんと机上に鎮座している。そしてこんもり具合にも湿ったところがない。つまりインクはもう乾き切っているのだ。よし。その点も勘案して、自分はエアコンを止めよう。もう「ドライにしっぱなし」は要らないよね。と、リモコンを手にして、停止ボタンを押した。 すると、壁のエアコンの吹き出し口の、その“口”でいったら下唇の部分が、閉じる前にいったん完全オープンしますよ、させますからね、と通常の動作で動いた。下方に、ごごごご、と。 それからである。 洪水が起きた。その吹き出し口から、どどどど・どっ、と水が吹いてきた。 ほんとに流れ落ちてきた。しかも一秒二秒ではない。大量の水(これは汚れてはいなかった。清い水である)が、止やまず、ほとばしり続ける。六十秒。百二十秒。自分は騒いでいる、バケツはどこだ! というか、これはなんだ! なにしろ仕事部屋のエアコンというのは昨年の秋に交換したばかりで、使用開始から八ヵ月弱しか経過していない超新品で、そもそもこのエアコンの取り付け時に起きた事件に関しても「群像」の二〇二四年一月号に執筆して発表している、という曰いわくもある。つまり、曰くがありすぎたから、超常現象を起こしているのか? 今度の『うつほ物語』を「群像」に一挙に発表するから? それまで一度も、水がこぼれてきたとか、ぽとぽと垂れたとか、一滴でも垂れたとか、何もなかったのに? 予兆がなかったのに? ……と呆然としている暇はない。壁にエアコンは設置されている、その真下は何か? 本棚なのである。自分の仕事部屋は三方が全部本棚なのである。本が、どんどん濡れる。びちょびちょになる。悲惨だ。というか悲劇だ。あ。「小説トリッパー」二〇〇一年春季号の「[特集]一番はじめの〈中上健次〉」がびちょびちょに。中上は『うつほ物語』の起点にもいる人間なのに、それを説明する余裕もない。呆然。怒濤。 と、思っている間に、たぶん四分は経過しなかった、水の神秘的な・霊的な・ほとんど幻想的な〈洪水的〉排出は、ぴ……ぴぴ……ぷつ、と止んだ。 この現象は結局、排水管(ドレンホース、とマニュアルにあった)の詰まりが原因だったのだが、そしてそうした事情は翌日に判明するのだが、とにかく愕然とした。それと同時に脱稿したばかりの原稿、その当時の『うつほ物語』であり現在の『超空洞物語』の、特別さを感じないわけにはいかなかった。なにゆえ、そういうタイミングで、突然に、あの洪水だったのだ? 自分のこの『超空洞物語』というのはただの古典の現代語訳ではぜんぜんないのだよとはすでに書いたけれども、もしかしたら本というのは最後まで読まない人も多いというか、ものによっては最後までは読めない、と言われてしまう作品も多いかもしれず、あんたの作品だってそこに入るんだよと指弾されるかもしれないから、ここで『超空洞物語』の結末を語ってしまうが、これは光源氏が隠遁生活をする地の須磨を永久に出られず、古川の発見した無数の犬たち(八犬伝、ではない発見伝による真の野犬たち)が近代を喰い殺さんとする物語である。そして本来的な意図としては「豊饒な物語文学を葬り去らんとした近現代をうつほ舟(とは一本の木を刳りぬいて作った中空の舟である)に入れて流そう」というのがあって、じゃあ、どこに流すのだ? と良心的な人びとは問うだろう。 もちろん異郷に流すのだ。想像もつかない世界に、時代に漂着させるのだ。 そこで文学がモンスターと化して復活することを願って。あるいは信じて。 なにしろ日本には蛭子の神話がある。その神話が、当たるか、崩れるか? 『超空洞物語』古川日出男(講談社) その〈空洞〉から、すべては始まった――。 天下の奇書か、物語の起源か? 日本最古の大長篇「うつほ物語」の謎を、光源氏が解きあかす。 「平家物語」を全訳した著者が、一千年の日本文学史を超絶マッシュアップ。歴史を現代につなぐ驚異の新作!日本物語文学史の豊饒なる起源を、現代に再生させる冒険の書。
古川 日出男(作家)