37歳・織田信成「年齢はただの数字」目指すはマラソン元世界記録保持者の40歳 最後の全日本は「笑顔で」
フィギュアスケートの全日本選手権は20日に大阪・東和薬品ラクタブドームで開幕する。男子で11年ぶり12回目の出場を決めた元五輪代表の37歳、織田信成(大阪スケート倶楽部)が17日までに取材に応じ「生き様(ざま)を刻みたい」と決意を込めた。今季を最後に2度目の競技生活に終止符を打ち、全日本での演技は20、21日がラスト。スケート界に新風を吹き込む「マツケンサンバ」(SP)、競技人生の集大成「Angels」(フリー)でそれぞれ4回転を決め、思い出のリンクに伝説を残す。(取材・構成=小林 玲花) 【写真】織田信成、色紙に詰め込んだ思い ―2度目となる現役最後の全日本は地元・大阪開催。会場は織田にとって、2010年バンクーバー五輪を決めた忘れられないリンクだ。運命的な巡り合わせが重なった最高の舞台となる。 「去年は(手続きに)不備があり出られず、本当は去年出られていたら終わりにしようと思っていた。ファンの人から『来季の全日本楽しみにしてます』とメッセージをもらって『出なきゃ怒られる!(笑)』という思いも。恥ずかしげもなく『脚、無理!』となっている生き様を刻みたい。目標は入賞。1ケタには入りたい」 ―1度目に引退した13年の全日本時、3歳だった長男は14歳になり「11年」という時の流れを実感。今回の全日本は家族の前でかっこいいパパの姿を見せる。 「目標として、家族が僕のスケートを生で見た記憶がちゃんとあるぐらい滑っていたいという思いがあった。家では応援の練習もして、妻が『(応援幕の)バナーはこう(高い位置で)振ったらあかん』『大きい声で叫ばな聞こえへんで』と言っている。みんな、ひどいんですよ。『ええ、行くの? 寒いやん、リンク』って。もう、パパ終わりだよ!?(笑)」 ―有終の美を飾る今季SPはフィギュア界の“常識”を覆す「マツケンサンバ」。振り付けは自分。「120%」と大満足の出来で、伝説の演技にする。 「マツケンサンバってみんな大好きやん!と思って。どの場面でも幸せになる。そんな曲はめったにない。振付師さんに言い出す勇気がなくて、迷ってたら1か月ぐらいたってしまったので『もう、これは自分で作ろう!』と思って。この雰囲気をまとえるのはスケート界では自分しかいないという自負を持って滑っている」 ―5月には右股関節を負傷。くしゃみで激痛が走り「不安だった」というが、ギリギリで全日本の予選を兼ねた近畿選手権に出場。全日本では4回転トウループに挑む。 「年を重ねると予期せぬ痛み、体調不良がありますよね(笑)。もがき苦しんでいる姿は見せたいと思っている。頑張ってダメだったじゃなく、頑張ればなんとか形になるんだぞっていうところを見せたい。テーマは4回転。4回転跳べないと今はお話にならない。調子が上がってきたら、フリーでは2本、挑戦したい」 ―原動力は「探究心」。マラソン元世界記録保持者で40歳のキプチョゲ(ケニア)、サッカーで39歳のC・ロナウド(ポルトガル)と、ベテランスーパースターの“極意”を取り入れ、37歳は日々、限界と闘っている。 「キプチョゲは本当に仙人のような生活をしていて、自分には無理や思うんですけど…。人間のステージとしてはキプチョゲと同じところに行きたい。『年齢はただの数字なんだぞ』とかっこよく言える大人になりたい。クリロナは、毎日トレーニングをしている。僕はいつも0か100でやってしまう人間なので、その中で、60%、70%の練習をうまく見つけたい。キプチョゲであり、クリロナであり、世界のODAで(笑)。世界トップの人しか分からない感覚、自分が知らないことって絶対ある。それを見つけたい」 ―今回の全日本では五輪メダリストの宇野昌磨さん(27)がスペシャルアンバサダーに就任。織田はあることを楽しみにしている。 「インタビューしてほしい。戸惑っている昌磨君を上から目線で見つめたい。僕の方が絶対しゃべるので。後輩を困らせたい(笑)」 ―これが正真正銘最後の全日本。競技人生第二章の最後に最高の物語をつづる。 「『ありがとう~』って笑顔で終わりたい。いい意味でも悪い意味でも氷ではかなく散ると思うので(笑)。最後はもう、歯を食いしばって、最後まで諦めずに頑張って頑張って、その先に笑顔があればいいなと思う」 ◆織田 信成(おだ・のぶなり)1987年3月25日、37歳。大阪・高槻市出身。関大―関大大学院。元選手の母・憲子さんの影響で7歳から競技開始。2010年バンクーバー五輪7位。06年四大陸選手権優勝。08年全日本選手権優勝。13年に一度引退も、22年に復帰。10年に中学校時代の同級生と結婚。現在は4児の父。
報知新聞社