【パリコレ初対談】アンダーカバー高橋盾×ケンゾーNIGO(R) あの頃と今を語り合う
「同じ日にパリでショーやるなんてあの頃は思ってもいなかった」――今年6月のパリコレ前、高橋盾が自身のInstagramに投稿した。高橋が手掛ける「アンダーカバー(UNDERCOVER)」と、NIGO(R)が手掛ける「ケンゾー(KENZO)」、2つのブランドが奇しくも同日にパリでコレクションを発表することになった。アンダーカバーがメンズのファッションウィークでショーを開催するのは4年半ぶり。一方でケンゾーはNIGO(R)がアーティスティック・ディレクターに就任してから6シーズン目を数える。よく知られている通り、ふたりは1990年代に爆発的なブームを巻き起こした裏原宿カルチャーの中心的な人物で、同志であり朋友。それぞれのショーを終えたばかりの翌日、パリの中心にあるヴァンドーム広場に集い、「あの頃」と「今」、そして互いのクリエイションについて語り合ってもらった。
ジュンくんは"作る"、NIGO(R)は"編集"
――普段パリで、こういった形で会うことはありますか? 高橋 盾(以下、高橋):こっちではないですね。会うとしたら葉山とかが多いから。 NIGO(R):パリで一緒に取材なんて初めてじゃない? レアですね。 ――まずは同世代のおふたりについて。性格などタイプは違うのかなと思いますが、実際はどうでしょう。 NIGO(R):全く違うと思う(笑)。 高橋:だいぶ違うね。 NIGO(R):もう30年以上の付き合いですけど、違う者同士だから未だに続いているのかも。でも案外、好きなものとかが似ていたりするんですよ。 高橋:そう、好きなポイントが意外にリンクしていたり、タイミングとかも。 ――最初に知り合ったのは、文化服装学院に通っていた学生時代ですね。 NIGO(R):学年はジュン(盾)くんの方が1つ上です。僕が当時、ラバーソールの靴とか履いていたら、「そういうの好きなんだ」って校内で声をかけてくれて。そこからですね。 高橋:存在感とか雰囲気がある人って、いるじゃないですか。最初に見た時に、なかなか他にない感じだったので「おっ!」と思って、声をかけたんです。それで話してみたら、「え、群馬なの?」って。 NIGO(R):地元が同じだった(笑)。 ※高橋は桐生市、NIGO(R)は前橋市の出身。ふたりが出会ったのは高橋が所属していた文化服装学院のフォークソング部にて。(NIGO(R)はサークルには入らなかった) ――当時も今もですが、お互いのスゴいなと思う部分は? NIGO(R):いやもう、昨日の話になっちゃうんですけど。僕は普段、他の人のショーは、つながりのあるファレル(=ファレル・ウィリアムス)の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」くらいしか見に行かないんですよ。 ※NIGO(R)とファレル・ウィリアムスの出会いのきっかけは、ともにニューヨークのジュエラー「Jacob & Co.」の顧客だったことから。親交が深く、ケンゾーのショーにも必ずファレルの姿がある。 でも今回は、ジュンくんのアンダーカバーがケンゾーと同じ日で、スケジュールも大丈夫だったからショーを見に行かせてもらったんです。そうしたら、うーーんって感じで。 高橋:何がどう(笑)? NIGO(R):やっぱりね、戦場というか、このパリで戦っている大先輩じゃないですか。そのショーを見て、色々と問いかけちゃいました。「俺は大丈夫か」って自分に対して。それくらい、すごく完成度が高かったから。 高橋:あー、それは嬉しい。まあでも、クリエイションの軸というか方向性がNIGO(R)と違うから。ケンゾーのようなブランドだったら、ある意味でチームデザインじゃない? NIGO(R)がコンセプトを決めてチームに伝えて、NIGO(R)がジャッジしていくという。俺の場合は自分で発想して、ああだこうだと考えて好きなものを混ぜて。演出とか専門の人と一緒にやるにしても、ゴールまでほぼ自分で決めていく。だから煮詰まっている状態の違いもあるんじゃないかな。 NIGO(R):ジュンくんはやっぱり"デザイナー"。亡くなってしまったヴァージル(=ヴァージル・アブロー / 元ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクター)も然りだけど、"クリエイティブディレクター"や"アーティスティックディレクター"はジャンルが違う、ということはあるかもしれない。 ※高橋は在学中の1990年に「アンダーカバー」を友人と立ち上げた。 高橋:だから昨日も俺、ケンゾーのショーを見ながら「これ何人くらいのチームをまとめているんだろうな」とか、「ウィンメンズとメンズ違うのかな」とかさ、そういうことも考えた。その中でNIGO(R)のエッセンスがどこにどう入っているか。やっぱり一番そこを見るよね。 NIGO(R):僕は文化の時もエディター科だったから、服作りをしっかりと学ぶというよりも「編集」の方。でもジュンくんは、描いて描いて、縫って縫って・・・ 高橋:いや、俺だってその頃そんなにやっていなかったよ。 NIGO(R):ホント?(笑) 高橋:最初はそれなりにやっていたんだけど、2年生になってからは友達に頼んだり、「2000円やるから」って縫ってもらったり(笑)、そんなんばっかり。だけど、NIGO(R)は"編集"して、俺は"作る"というベースが、今の姿につながっているね。うちらの昨日の2つのコレクションの違いの元って、たぶんそういうこと。