【パリコレ初対談】アンダーカバー高橋盾×ケンゾーNIGO(R) あの頃と今を語り合う
パリのブランドを日本人が手掛ける意味
――2021年に、NIGO(R)さんがパリを拠点とするケンゾーのクリエイティブディレクターに就任した時、高橋さんはどのように感じましたか? 高橋:めちゃくちゃ嬉しかったですよ。元々は高田賢三さんのブランドとはいえ、今はフランスのLVMHグループだし、そういう大企業の高いポジションに就く日本人デザイナーっていなかったじゃないですか。それに声がかかったというのは、やっぱりNIGO(R)がずっとやってきたことがちゃんと認められて、 その結果が繋がったということだろうから。 NIGO(R):ただコロナ禍の真っ只中だったから、ケンゾーでのスタートは結構大変でした。 高橋:渡航するたびにホテルに隔離で、それでもパリに通ってたもんね。 NIGO(R):最初のショーまでずっと無我夢中というか、自分でもどうなるかわからなかった。でもジュンくんがずっと応援してくれて、それこそショーが始まる前にもメッセージを送ってくれたりね。 高橋:俺はパリに行けなかったから東京にいて、そろそろかなってショーの10分前くらいに「がんばれ」ってLINEを送ってみたんですよ。そしたらすぐに既読になったから、あれ? こんな寸前に何LINE見てんだって(笑)。 NIGO(R):ちょっと余裕見せないと、と思って「うん、大丈夫」ってすぐ返した(笑)。本当はギリギリの状態だったんだけど、嬉しかったですね。 高橋:そうだったの(笑)。でもさ、ショーの本番中にNIGO(R)、余裕そうに客席に座って見てたじゃない。オンラインで見てたけど「えっ? 新しいスタイル?」って。 NIGO(R):昔のひとみさん(=大川ひとみ /「MILK」「MILK BOY」ディレクター)が、そんな感じだったよね(笑)。 高橋:あ~思い出した。そうだったわ(笑)。 ※大川ひとみは1970年に「MILK」を立ち上げ。原宿の路面店でデビューしたてのアンダーカバーを取り扱ったり、NIGO(R)にスタイリストの仕事を斡旋するなど、公私ともに深いつながりがある原宿のハブ的な存在。