【パリコレ初対談】アンダーカバー高橋盾×ケンゾーNIGO(R) あの頃と今を語り合う
「パリコレとか何?」みたいな感じだった
――故・ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)が、裏原宿から生まれたストリートカルチャーに影響を受けてきたことが知られています。そういった影響をどのように見ていますか? 高橋:海外のそういうコミュニティからすると、NIGO(R)の影響は大きいと思いますよ。逆に、盛り上がっていた当時でも俺は、どこか馬鹿にされているような感じがしていたし。 NIGO(R):ああ、ファッションの世界の人たちから相手にされない、認められないというか。 高橋:「どうせ原宿でしょ」みたいな、そういう感じだったからね。 NIGO(R):そこから30年も色々なことをやってきて、それで2022年の「毎日ファッション大賞」。あれを僕がいただいた時は、「時代は変わったんだな」と考え深かったですね。そういうものに全く縁がないと思っていたから。 高橋:そういう王道の、オフィシャルの賞をもらうってね。あの頃は考えられなかった。 ――当時からすると、今このパリにふたりがいるという未来も想像できなかったと。 高橋:まったく。「パリコレとか何?」みたいな感じだったんじゃないかな(笑)。 NIGO(R):そうそう。でも、ジュンくんはアンダーカバーで東京からパリを目指していって。何年からやっているんだっけ? 高橋:初パリは2002年。なので22年前ということか。 ※アンダーカバーのパリデビューとなった2003年春夏コレクションのテーマは「SCAB」。"かさぶた"をイメージさせる無数のパッチワークで手仕事を駆使したコレクションが注目を浴びた。 NIGO(R):もうその当時は別々の道だったね。僕は2003年にニューヨークに店を出したから、どっちかというとアメリカの方を向いていたし。でも今、自分がケンゾーをやることになって改めて思うけど、パリを長く続けるのは本当にスゴイと思う。 高橋:年齢で考えたら、俺がパリに出てきたのは30歳くらいだったわけ。 だからもう全然、体力があるスタートだったんだと思うよ。