【パリコレ初対談】アンダーカバー高橋盾×ケンゾーNIGO(R) あの頃と今を語り合う
NIGO(R):ある意味、ブレてない。 高橋:NIGO(R)も会った時から何も変わらないし、 やっていることもたぶん、それぞれ学生の時から続いてる。規模が変わっているだけのような気もするな。 ――NIGO(R)さんは過去のインタビューで、自身のクリエイションを音楽に例えて「ヒップホップ的」と表現していましたね。 NIGO(R):そのド真ん中の世代なので。好きな物を集めて、編集して、くっつけて。音楽を作るのと似ている感覚があるんですよね。 高橋:ああ、それは俺もあるな。ロックの文脈の「ミクスチャー」とかね。自分の好きなものをどう混ぜていくかとか、歴史的なものをそれにどう混ぜてとか。そういう世代なんですよ。
だからピュアだし、 パワーを持ったものができた
――1993年におふたりが裏原宿にオープンしたのが伝説のショップ「NOWHERE(ノーウェア)」。爆発的な人気を博しましたが、当時は将来を想像することってありましたか? 高橋:どうだった? NIGO(R):全くないんじゃない? 高橋:なかったよね(笑)。 NIGO(R):お店も始めたのも、最初はノリに近かったから。 ※ノーウェアの店名は、「NO WHERE(どこにもない)モノが、NOW HERE(ここにある)」という意味を持つ。 高橋:だって「ジュンくん、一緒にお店やらない?」ってNIGO(R)から言われて、「おお、いいね」って。どういうお店になって、どうしていきたいかとかじゃなかった。「そんなことやれんの?」みたいなスタートだったし。 NIGO(R):展望よりも、目の前のことに夢中だった。不安に思うこともなかったし。若かったというのもあると思うけど。 ※NIGO(R)は在学中から雑誌編集のアルバイトやスタイリストの仕事を経験。卒業後に雑誌『宝島』で連載「ラストオージー2」を持ち、高橋と担当していた。その2人でスタートしたノーウェアは、常に品薄状態の人気店に。 高橋:若い勢いって、やっぱりすごいよね。経験が少ない分、どうなって失敗するかとか、逆にわかんないわけだから。 経験があるとビビっちゃうのかも。 NIGO(R):構えるし、変に力が入っちゃう。 高橋:ノーウェアを始めた頃なんかさ、今考えれば遊んでるだけなんですよ。自分たちが楽しくて面白いもの、やりたいことだけ。だからピュアだし、 パワーを持ったものができてたとも思うね。Tシャツ一枚にしても。 NIGO(R):ジュンくんはひたすら服を作り続けて、僕は面白いものを集めたり買い付けして。そのうちジュンくんに「服作ればいいじゃん」と言われて、作ることも始めていった。 ※NIGO(R)は1993年に「A BATHING APE(R)」を立ち上げた。ロゴやグラフィックを担当したのがSKATE THING。 高橋:センスあるからね。NIGO(R)が自分の手で生み出してみたら面白いんじゃないかな、というのは割と早くから思ってた。周りにはシンちゃん(=SKATE THING / グラフィックデザイナー)とか仲間もいたし。あとNIGO(R)は店が終わってからも裏でコツコツと仕事をするタイプで、そういう部分もすごいなと思っていたから。 NIGO(R):僕ら2人とも、意外と真面目なんですよ(笑)。仕事に向き合う姿勢は。