『光る君へ』12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を…その生涯について
◆女院「上東門院」として宮廷を支え続けて これらの章段がいつ書かれ、彰子がいつ読んだのかはよくわかっていません。 しかし「若紫」は『源氏物語』でもかなり早い時期に書かれたものであり、あるいは道長はこの光源氏と若紫の物語を読み、一条天皇と彰子にも見せてやろうと思ったのかもしれません。 おそらく父や周囲からかけ続けられたであろう、苦しいプレッシャーをはねのけ、大変な難産を超えて彰子は後一条天皇を産みました。 紫式部は冷静な筆致でその様子を記し、世界最古級とも言える、女性による出産記録文献を残しました。 『源氏物語』の明石の姫君の物語は、彰子に皇后の自覚と妊娠を促し、『紫式部日記』は、その結果を道長に報告する、紫式部の一対の報告書と言えるのかもしれません。 そして彰子は、一条天皇を失ってからも、実に60年余りにわたり、道長や源倫子の権威をも越え、宮廷を支え続けた女院「上東門院」となるのです。
榎村寛之
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