『光る君へ』12歳で入内後、出産まで実に10年を要した道長の娘「いけにえの姫」彰子。苦しんだであろう日々が『源氏物語』にも影響を…その生涯について
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「道長の娘・彰子の生涯」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 次回の『光る君へ』。石山寺でばったり出会ったまひろと道長。思い出話に花を咲かせるうちにふたりは… * * * * * * * ◆藤原彰子の入内 現在、お休み期間中の『光る君へ』。 6月30日放送回の「いけにえの姫」では、まひろが佐々木蔵之介さん演じる夫・宣孝とすれ違っていくなかで、道長と再会してしまいました。やきもきしながら次回放送を待っている方も多いことでしょう。 一方でその道長は、安倍晴明の助言に従い、嫌々ながらその娘・彰子を一条天皇に入内させることを決意しました。 史実から言うと、その彰子は入内から10年を経て、一条天皇との間に初めての子〈後の後一条天皇〉をもうけることになります。 入内から10年とはかなり長い期間に思われますが、その間、彰子と一条天皇の結婚生活はいかなるものだったのでしょうか。 今回はそれについて記したいと思います。
◆いきなり中宮になった彰子 『光る君へ」でも語られていたように、道長の長女・彰子は数え年12歳で結婚しました。 一条天皇とは8歳差で、今で言えば、大学生と小学生くらいの結婚と考えていいでしょう。 普通、貴族の娘が入内をすると、まず女御からスタートするのですが、彼女は天皇の正妻である中宮定子を皇后に押し上げて、わずか3ヵ月で中宮になりました。 女御は四位程度の位階を持ち、いわば女官の身分なのですが、皇后は天皇と同等の、臣下を超えた立場です。 そしてもともと、中宮と皇后は同じ意味ですが、それを別のものと考え、中宮と皇后を同時に置いたのは、定子の父・藤原道隆でした。 それは皇后という身分の濫用とも言え、多くの反発を招きました。
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