カショギ氏事件にみる中東覇権の行方 米ロ対立の“演出”も
●捨てられるクルド人
カショギ事件のショックは中東にとどまらず世界全体に及び、とりわけアメリカの指導力の低下を加速させかねないものです。 アメリカから見てトルコとサウジアラビアは、どちらも同盟国です。ただし、エルドアン大統領率いるトルコは、人権問題などをめぐってアメリカとの関係が冷えこんでいます。とりわけ2016年7月のクーデタ未遂事件でトルコ政府が主犯とみなすフェトフッラー・ギュレン氏がアメリカに亡命していることと、これに関連してトルコ当局がアメリカ人牧師を自宅軟禁にしたことが、両国の関係を決定的に悪化させていました。そのため、サウジとの関係を重視するトランプ大統領はムハンマド皇太子の関与を疑う発言を繰り返し、事実上サウジを擁護してきました。 この状況のもと、10月26日にトルコ政府がクルド人勢力掃討のためシリアに部隊を派遣すると宣言したことは、暗黙のうちにアメリカに一つの取り引きをもちかけたものとみられます。つまり、トルコがサウジ批判をトーンダウンさせる見返りに、アメリカはクルド人勢力への支援をやめ、シリアにおけるトルコ軍の活動を邪魔しない、という筋書きです。 この推測を裏付けるように、12月19日にトランプ大統領は突如シリアからの撤退を発表。トランプ氏は就任以前からシリア撤退を強調してきましたが、マティス国防長官など軍の反対もあって、これまでアメリカ軍はIS対策としてシリア北部に駐留してきました。トランプ氏はISを「撃破した」と成果を強調していますが、この決定はマティス国防長官やIS問題特使のマクガーク大統領特使による抗議の辞任をも呼びました。これが予測されていたにもかかわらず、トランプ大統領がシリアからの撤退を決断したことは、トルコとの密約を疑わせるだけでなく、事実上クルド人勢力を見捨てるものでもあり、アメリカの中東政策の行き詰まりを象徴します。
●アメリカの挫折
アメリカが行き詰るのと入れ違いに、この状況はロシアの影響力を強めるものといえます。 シリア内戦でロシアは一貫してアサド政権を支えており、反体制派を支持する欧米諸国を批判してきました。ロシア軍やイランが支援するアサド政権は要衝を相次いでISから奪還しただけでなく、反体制派を首都ダマスカス近郊のグータに追い詰めるなどして、軍事的優位を固めてきました。 クルド人勢力の支援を名目にアメリカ軍が駐留してきたシリア北部のマンビジュは、アサド政権の手が及ばない数少ない土地でした。しかし、トランプ政権がシリアからの撤退を表明した1週間後の12月26日、アメリカという後ろ盾を失った形のクルド人勢力は「トルコ軍からの脅威」を理由にアサド政権に支援を要請。アメリカの軍事的関与が縮小するという表明は、アサド政権と、これを支援してきたロシアがシリア内戦での勝利をほぼ確定させたといえます。 シリア内戦での「ロシア・イラン・アサド連合軍」の勝利は、これまで以上にアメリカの世界のパワーゲームの中での衰退を印象づけます。ただし、トランプ大統領は2016年大統領選挙でのロシアゲート疑惑によって、国内向けにロシアへの強硬な態度を崩せない立場にあります。そのため、2020年の大統領選挙に向けたレースが始まる2019年には、トランプ政権が「ロシアとの対決」を演出して国際的な緊張が高まる懸念もあります。その場合、2014年のクリミア危機以降、政情不安定なウクライナなどがその舞台になり得ます。 こうしてみたとき、カショギ事件で生まれた衝撃は、各国に玉突きのようにショックを与え、この中でロシアやイランの存在感が大きくなるほど、これに対するアメリカやサウジからの反動も大きくなり、イエメンやカタールをめぐる対立が激化することが見込まれます。言い換えると、カショギ氏の死は、世界全体での米ロ対立に拍車をかける一つのきっかけになるといえるでしょう。
------------------------------------------ ■六辻彰二(むつじ・しょうじ) 国際政治学者。博士(国際関係)。アフリカをメインフィールドに、幅広く国際政治を分析。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、東京女子大学などで教鞭をとる。著書に『世界の独裁者』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『対立からわかる! 最新世界情勢』(成美堂出版)。その他、論文多数。Yahoo!ニュース個人オーサー