カショギ氏事件にみる中東覇権の行方 米ロ対立の“演出”も
●サウジ改革の行方
ただし、どんな動機づけであっても、トルコが先導して高まった国際的な疑惑と批判は、サウジアラビア政府を追い詰めてきました。それは実質的な最高責任者であるムハンマド皇太子の立場だけでなく、サウジアラビアそのものの求心力にも関わる問題です。 2015年に王位継承順第2位の副皇太子兼副首相、国防大臣に就任し、2017年に皇太子に即位したムハンマド皇太子は、高齢であるサルマン国王の実子という立場を最大限に利用し、サウジアラビアの改革を推し進めてきました。 もともとサウジは世界屈指の産油国である一方、数千人の王族が政治・経済の両面で大きな力を握ってきました。しかしその結果、国営の石油企業などを特定の王族が私物化したり、一部の王族がアルカイダなど国際テロ組織と結びつきを持ったりするなど、一部の有力者が国家を乗っ取る、中世的な国家であり続けたのです。 その打破を目指すムハンマド皇太子の改革には、イスラムの戒律を理由に禁止されていた女性の自動車運転を解禁や、石油依存を減らすための金融、観光などの産業育成、最大の国営石油企業サウジアラムコの株式の一部売却と民間参入の奨励といった経済面だけでなく、イスラム過激派と取り締まりの強化、国際的な発言力を高めるためのスンニ派諸国への締め付けの強化、石油輸出国機構(OPEC)未加盟のロシアとのエネルギー価格をめぐる協力など、政治的なものも含まれます。これらはサウジアラビアを近代国家として強化することを目指すものといえますが、その最大の障壁になってきたのが、政治と経済に根を張る王族でした。 そのため、ムハンマド皇太子は2017年11月、世界屈指の富豪でもあるタラル王子など11人の王子を脱税など疑惑で一斉に逮捕するなど、有力な王族の排除に向かってきました。ムハンマド皇太子による粛清は、これらの王族と結びついた民間人も対象にしていて、サウジでは14人のジャーナリストが拘束されています。カショギ氏は2000年代に情報分門の責任者を務めていたファイサル王子のアドバイザーを務めた経験もあり、しかも海外での発信力が高いジャーナリストであるため、ムハンマド皇太子からみて「危険人物」だったことは確かです。 しかし、カショギ事件をきっかけに、10月22日に開催されたサウジアラビア投資会議に多くの海外企業のCEOが参加を見合わせるなど、ムハンマド皇太子への疑惑と批判が高まることは、国内での立場を危うくしかねないものです。それはムハンマド皇太子が進めてきた改革を頓挫させかねず、ひいては中東でのサウジアラビアの求心力を低下させるインパクトを秘めているのです。