資本主義と情報技術の「不幸な結婚」が生んだ、世界中で起きている「悲劇」の真実
資本主義と情報技術の「不幸な結婚」
このSomewhereな人びとの相互評価(承認の獲得)のゲームと、Anywhereな人びとの市場というゲーム、これが今日の情報社会におけるグローバルなゲームの二重構造だ。 そもそも貨幣とは、外部化された信用のことにほかならず、金融資本主義とはその人の社会的な信用に応じて市場から資金が調達されるメカニズムだ。そして今日の情報技術は、プレイヤー間の相互評価のゲームによってこの信用の一部を可視化している。 ここで可視化された信用を広告などに結びつけることで換金すること、つまり共感資本として用いることで急激な成長を見せたのがGoogle、Facebookなどのプラットフォーマーたちだった。 彼らは、下位の相互評価のゲームを設計し、そこから収益を上げる。そしてその相互評価のゲームはプレイヤーの自己目的化により、無限に反復される。この構造を発明したことでプラットフォーマーたちは上位の金融資本主義のゲームで勝利を収め、かつゲームそのものも活性化させることに成功したのだ。 リーマン・ブラザーズの破綻の寸前にその臨界点に達していた金融資本主義は、その後情報技術によって形成された相互評価のゲームと接続することによって──Google、Facebook、X(Twitter)などのプラットフォーマーを取りこむことによって──大きく拡張したのだ。 下位のゲームをプレイする人びとが、ゲームをプレイすることそのものを欲望することがプラットフォームの支配力を高め、上位のゲームを活性化させている。 ここにはプレイヤーたちの自己目的化したゲームへの没入が、ゲームの構造をボトムアップに強化するという構造がある。プレイヤーによる下位のゲームの自己目的化が、上位のゲームの構造を再強化する──この現象は、一見、21世紀に出現した資本主義と情報技術の不幸な結婚の成果のように思える。 ある意味ではそのとおりなのだが、ある意味では違う。この現象は古くて新しい問題なのだ。 さらに連載記事<インターネットが実現した「多様性」を人々がこぞって捨て去ろうとしている「悲しき現実」>では、現代の情報社会が直面している問題点をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
宇野 常寛(評論家)