能登半島地震発生から半年――被災地の高校生とボランティアによる演奏会が届けた希望
演奏会を通じて、「人との縁の大切さ」を知った
無事に演奏会を終えて、生徒たちは何を思うのか。飯田高校・吹奏楽部の部長を務める葛原(かつらはら)さん、副部長を務める大坪(おおつぼ)さんにお話を伺いました。 ――発災時、どちらにいたのでしょうか? 葛原さん(以下、敬称略):私の家は神社で、巫女としての手伝いをしている最中でした。鳥居が倒れてしまう被害に遭いましたが、自宅は無事で、それからずっと在宅避難を続けています。 大坪さん(以下、敬称略):僕の自宅は裏山が崩れてしまって、土砂に巻き込まれてしまいました。がれきのすき間から抜け出すことができて、助かったんです。いまは珠洲市にある宿泊施設で暮らしながら学校に通っています。 大坪:部活自体は1月下旬くらいから再開したんですが、余震も続いていたので、最初は1時間くらいしかできなくて。ようやくまともに活動できるようになったのはつい最近のことですね。 葛原:とはいえ、完全に元通りになった訳ではありません。震災の影響で転校してしまった生徒もいて、元々は11名いた部員が、いまは8名になってしまいました……。部活ができる嬉しさはありますが、やっぱり仲間が減ってしまうのはつらかったですね。 大坪:パートも足りなくなって、音の厚みも減ってしまいました。ただ、それでもみんなで集まれること、一緒に演奏できることは何よりも励みになります。 ――部員が8名に減ってしまったものの、今日の定期演奏会はとても盛り上がりましたね。 葛原:ありがとうございます。予想していなかったくらい大勢のお客さんが集まってくださって、その分、緊張もしましたが、いろんな人に私たちの演奏を届けられて楽しかったです。 大坪:いつもの定期演奏会とは比べ物にならないくらいの人数が集まって、すごく驚きました。でも、本当に楽しかった。 ――今回の演奏会には復興支援に取り組むボランティアの方々も参加されました。 大坪:実は、その中心となるDRT-JAPANの方に僕から声をかけさせていただいたんです。その方は、土砂に飲まれてしまった僕の家からクラリネットとオーボエを見つけ出してくれて。そのご縁もあったので、「定期演奏会に一緒に参加してくれませんか」と声をかけさせていただきました。 ――その結果、DRT-JAPANだけではなくIVUSAや日本財団ボランティアセンターの学生など、大勢のボランティアの方が応援に駆けつけてくれましたね。 葛原:はい。この演奏会を通じて、人とのつながりを強く感じました。面識のなかった人たちともご縁が生まれて、本当に感謝の気持でいっぱいです。 だから私も、また別の機会に恩返しができるように頑張りたい。今回の演奏会が節目となり、3年生は本格的な受験勉強が始まります。私はまだ将来の夢は見つけていないんですが、大学に進学して、社会学を学ぶつもりです。 大坪:僕は石川県内にある短大に進学して、図書館司書の資格を取りたいと思っています。そして、司書をやりながら社会人吹奏楽団に所属して、楽器の演奏も続けていくつもりです。 いずれはこのまちに戻って来ようとも思っています。能登半島にはたくさんの伝統が残っていて、それをいまも大切に守っている人たちがいる。だから、日本の皆さんには能登半島のことを忘れてほしくないし、「ここ(の復興)にお金をかける必要なんてない」というようなSNSの声を見ると、とても悲しくなります。 ここで頑張って生きている人たちのことを、どうか忘れないでほしいです。