「グレタ」と「ナウシカ」そして「ジャンヌ・ダルク」――人類の危機に現れる異能の少女
ジャンヌ・ダルクの異端
ジャンヌ・ダルク(1412~1431)は、百年戦争(1337~1453)の際に登場したフランスの農民の娘である。12歳のときに神の声を聞き、16歳で決意し、17歳のときにシャルル7世によって認められて兵を率いて戦い、特にオルレアン包囲戦を奇跡的な勝利に導いて、イングランドに支配されかけていたフランスの戦況を好転させた。しかしフランスは内紛状態だったため、結局イングランドに引き渡され異端審問によって火あぶりとなった。 この異端審問は悪質なもので、イエス、ノー、どちらと答えても罪と異端に帰結するような罠としての問いをしかける「言論の拷問」といっていい。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説には異端審問の残酷さがよく描かれていた。ジャンヌは死後に名誉を回復され、聖人に列せられているが、僕のような不信心な人間は「死後の名誉では…」と思ってしまう。 内紛状態にあってイングランドに負けつづけ、フランスは「どうしようもない状況」であったために、神の言葉を語る少女に頼るという選択肢をとらざるを得なかったのであろう。今の地球の状態は、この時期のフランスに近い「どうしようもなさ」なのかもしれない。 グレタ・トゥーンベリも、一種の異端として批判されているように思える。
風の谷のナウシカ
『風の谷のナウシカ』は、宮崎駿がアニメで成功するキッカケとなった作品であるが、原作となった漫画版の内容は深い意味を投げかける複雑な作品で、強い文明批判のメッセージをもつ。 産業文明を崩壊させた「火の七日間」と呼ばれる大戦争のあと、という黙示録的な新世界が舞台で、主人公はナウシカという16歳の少女である。彼女は、風の谷の族長の娘であり、凧を乗りこなして空を駆け、剣術の腕も立ち、テレパシーの能力ももつ。トルメキア軍と土鬼(ドルク)との戦いをストーリーの基調とし、風の谷はトルメキア軍の一部隊として参加するが、ナウシカは土鬼にもシンパシーを抱く。腐海と呼ばれる樹海は、菌類と王蟲(オーム)たちの世界で、その瘴気は放射能をイメージさせるような強い毒性をもつ。世界を焼き払った人工生命体「巨神兵」は旧世界の遺物として不気味に眠る。 つまりこの作品の特徴は、ストーリー展開よりも、その圧倒的な世界観の設定にあり、登場人物の個性と哲学と行動にある。ナウシカは戦う少女ではあるが、博愛精神の強い大きな母性として描かれている。産業文明に対する強い批判と自然への敬意、特に森に対する愛情は、のちのジブリ作品『もののけ姫』にも見られ、「ナウシカ」が産業文明以後を描いたとすれば、「もののけ」は以前を描いたといえる。また初の本格3D映画として話題になった『アバター』にも、似たモチーフがあった。さらに批判を恐れずにいえば、僕は大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』や『同時代ゲーム』にも似たモチーフを感じる。 それにしても、16歳前後の異能の少女は『魔女の宅急便』『新世紀エヴァンゲリオン』『時をかける少女』『君の名は』など、人気アニメの主人公に欠くべからざる存在だ。この少女から大人の女へと変わる微妙な時期は、男性にとってすでに神秘であるのかもしれない。こうしたアニメーションの人気は、むしろ実写ではないことによるファンタジー性によるのであり、それが舞台設定や主人公の能力の異次元性につながるのだろう。 「森」「風」「異能の少女」は、スタジオ・ジブリの3大象徴ともいうべき要素だが、その作品が世界的な支持を得たのは、多くの人が地球の生命の危機を感じ、そういった象徴に希望を見出そうとしているからではないか。