「グレタ」と「ナウシカ」そして「ジャンヌ・ダルク」――人類の危機に現れる異能の少女
「人類の」ではなく「人類による」絶滅
科学者のあいだでは「地球は6600万年前に巨大隕石の衝突によって恐竜が滅んだ大絶滅につづく、第六の大絶滅の危機にある」ということが定説になりつつあるようだ。 両生類や昆虫の種が大量に減少していて、それがCO2などの温室効果ガスによる地球温暖化と関係しているという。しかもこれまでの大絶滅は不可抗力であったのに対して、今回は人類という「一つの種」が引き起こしている。この種は、もはや地球上の全生命体に対する加害者なのだ。 これは環境問題とはいっても、これまでの大気汚染や水質汚染とはまったく異なる「燃焼」というエネルギーに頼る近代文明の根幹にかかわる問題だ。その科学的救世主ともいうべきものが核エネルギーであったが、チェルノブイリやフクシマはその夢を打ち砕いた。つまり環境問題というより文明問題なのである。 加えて、僕の専門である建築の方からいえば、現代の経済発展はインドやアフリカなど人口の多い「南」の地域であり、その地域のほとんどの建築は日干し煉瓦であった。しかし発展とともに焼成煉瓦に代わりつつあり、その過程で薪を使うために森林が失われ、大量のCO2が排出される。しかも一年中冷房を必要とする熱帯、亜熱帯であるから大きな電力需要につながる。「南」の発展による気候インパクトは「北」の発展の比ではないのだ。 しかし貧困と飢餓と医療不足の問題を解決するには「発展=デベロップメント」が必要である。つまり地球の危機と人道の課題が矛盾していると考えれば、通常の社会正義で解決するような問題ではない。ある種、異次元の精神と判断と行動を要請される状況なのだ。この問題は人間にとって「科学的な神の領域」というべきではないか。 SDGs(サステイナブル・デベロップメント・ゴールズ=持続可能な開発目標)などと言えば専門家らしく聞こえるが、問題はそう甘くはない。むしろデベロップメント(開発)そのものを疑う必要がある。