ヤクルト・塩見泰隆が山崎晃大朗とした〝最後のキャッチボール〟「来年また一緒に出られたら一番よかった」
【球界ここだけの話】互いに別々の道を歩んできたとしても、同じ組織で出会った同学年は特別なものだ。同じ年(年度)に生まれ、同じ年に小学校に入り、中学校に進み、同じ時代を生きてきた。 【写真】ヤクルト・山崎晃大朗、ファンに仲間に愛された9年間 後輩たちにも響いたひたむきな姿勢 ヤクルト・塩見泰隆外野手(31)と、今季限りで現役を引退した山崎晃大朗氏(31)=来季の外野守備走塁コーチ=もともに1993年生まれの同学年だ。社会人・ENEOSを経て入団した右投げ右打ちの塩見と、日大卒でプロ入りした左投げ左打ちの山崎。経歴も投打も違うが、同じ外野手としてライバルであり、切磋琢磨(せっさたくま)してきた。 9月29日。今季のイースタン・リーグ最終戦となったオイシックス戦(戸田)が、山崎にとって最後の2軍戦出場となった。いつも通り試合前練習をこなしていたところに、5月の1軍戦で左半月板と左前十字靱帯を損傷し、リハビリ中の塩見が登場。一塁側ベンチ前で〝最後のキャッチボール〟が始まった。 「『最後にキャッチボールするか』と2人で決めていました。プロに入ってきてからずーっとコータローとキャッチボールをしてきましたし、何かパートナーはコータローみたいな感じでしたね。引退すると聞いて、いつかは来ることなのでしようがないことですけど、めちゃくちゃ悲しかったですよ」 塩見がそう明かした。数分間行われた〝ルーティン〟。リハビリ中の足を気にしながらも、塩見は「現役選手・山崎晃大朗」との最後のキャッチボールを楽しんだ。 「本当は、来年また一緒に1軍の試合に出られたら一番よかったですけど、こればかりはしようがないので…。受け入れて、僕は僕で頑張っていくしかないですね」 ずっとしのぎを削ってきただけに、寂しさ、悲しさは大きい。ただ、前に進むしかない。塩見は現役選手として、山崎はコーチとして。ともにスワローズを優勝に導きたいという思いは変わらないだろう。 「一つの区切りとして、『お疲れ様』という感じですね。僕は一年でも長く頑張ります」と塩見。コータローの思いも背負い、来季は絶対に神宮に帰還する。(赤尾裕希)