戦禍3年目のウクライナの現状。夫の戦死後、手元には「名誉の戦死」を称えた証書1枚だけ「幼い娘とどうやって生きていけばいいのでしょう」【現地ルポ】
2022年2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻。今もウクライナでは市民がミサイルに怯える日々が続く。長引く戦禍のなかで追い詰められていく苦境を、2つの家族の姿を通してレポートする(取材・文・撮影:玉本英子) 【写真】前線で戦死したオレクサンドルさんの妻オレナさん。軍から彼女のもとに届いたのは「名誉の戦死」を称える紙1枚だった * * * * * * * ◆息子と甥が相次ぎ戦死 昨年7月、イリーナさん夫婦のもとに悲報が届いた。息子のドミトロさんが、任務中に戦死したのだ。葬儀はイリーナさんの娘がいるウクライナ側の町で行われることになったが、本来、車で数時間先の道も戦闘で分断。支配地域からの移動は容易ではない。 イリーナさんだけが、ロシアとベラルーシを経由し、リトアニアに抜けてからポーランドへ、そしてウクライナに一時戻って葬儀に参列した。そのあと、また同じ道のりでロシアを通って占領下のヘルソンまで戻らねばならなかった。 その3ヵ月後、夫婦は再び悲しみに襲われる。東部の前線で戦っていた、甥のオレクサンドルさん(41歳)までもが亡くなったのだ。
イリーナさん夫婦は、脱出を決意した。被占領地住民の帰還を手助けするウクライナの民間団体の情報を頼りに、タクシーを手配し、2月下旬、密かにヘルソンの家を後にした。いったんロシアに入り、丸一日かけて国境にたどり着き、越境してウクライナ側のスーミィに入った。 イリーナさん夫婦は、夫の母と妹がいる南東部ザポリージャ近郊の村でしばらく暮らすという。スーミィで出会った私も同行し、車で村に着いた時には、すっかり日が暮れていた。 村の十数キロ先は戦闘地域で、遠くから砲撃の音が聞こえてきた。小さな一軒家で待っていたのは、アナトリーさんの母ハンナさん(85歳)。互いに抱きしめあい、それぞれの頬を涙が伝った。 甥のオレクサンドルさんは、以前、溶接工場で働いていたが、ロシア軍の侵攻からまもなく、戦時動員の召集令状が届く。配属される部隊からは、必要な装備は自前で揃えるよう求められた。 祖母のハンナさんは、「自分の葬式用に」と貯めていた年金を取り崩し、孫が少しでも丈夫な戦闘服やブーツを買えるようにと、お金を渡した。 無事を願い続けたハンナさんの思いもむなしく、東部戦線の激戦地に送られた彼は昨年10月に戦死。この家にともに暮らしていたオレクサンドルさんの妻オレナさん(36歳)と3歳の娘は、中部の町に避難した。
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