戦禍3年目のウクライナの現状。夫の戦死後、手元には「名誉の戦死」を称えた証書1枚だけ「幼い娘とどうやって生きていけばいいのでしょう」【現地ルポ】
◆遺族補償金をもらえぬ妻 1ヵ月後、私はイリーナさん夫婦とともに、オレナさんの避難先の町へ車で向かった。 幹線道路のわきには、軍を称える看板が並ぶ。「ウクライナは勝利する!」「わが軍を信じよう!」。戦況悪化に伴う兵員不足から、「ともに兵士の戦列に加わろう!」と入隊を呼びかける看板も目立つ。 避難先の家に着くと、孫たちがイリーナさん夫婦に駆け寄ってきた。部屋には、戦死した息子ドミトロさんと、甥オレクサンドルさんの写真が飾ってあった。 一家はさらなる悲しみに直面していた。オレクサンドルさんの妻・オレナさんが、本来受け取ることができる戦没兵士の遺族補償金を申請したが受理してもらえなかったのだ。
兵士が戦闘任務中に戦死すると、遺族には補償金と家族扶養年金が政府から給付される。だが、そのためには、何枚もの公的書類を揃えなければならない。 オレナさんは役所をたらいまわしにされた挙句に「書類不備」とされた。所属部隊が必要書類を発行してくれなかったのだ。結局、彼女が受け取ったのは、夫の「名誉の戦死」を称えた証書1枚だけだった。 オレクサンドルさんのいた空挺突撃隊の前線での戦いは熾烈を極め、毎日、何人もが敵弾に倒れていったという。夫の遺体は腕が折れ、肩が裂け、腹部と足を激しく損傷していた。 「夫は国を守るために命を捧げました。でも国はそれに報いてくれません。もう勝利を信じられなくなりました……。幼い娘とどうやって生きていけばいいのでしょう」 オレクサンドルさんが最後まで身に着けていた認識票を手にしながら、彼女は涙を浮かべた。
◆故郷と家族への思いを胸に いま、戦没兵士に給付される補償金を受け取れずに、生活が困窮する遺族が相次いでいる。国民が苦境にあえぐなか、役人の汚職が横行していることへの不満も噴出している。 ロシア軍への怒り、ミサイル攻撃と絶えない犠牲、発電所破壊による停電の頻発、そして先行きの見えないことへの不安……。人びとは、生活も心も追い詰められ、疲弊しきっていた。 今後、ウクライナがもしこの戦争に負けるとすれば、ロシア軍との戦いだけでなく、政府への不信や疲弊が、戦局を大きく左右する要因となるかもしれない。 息子と甥を亡くし、故郷を占領されて家を失ったイリーナさんは、戦禍の2年を振り返る。 「戦争前の普通の日々が、どんなに価値があったことか……。平和の重みを改めて感じています」 私は南部や東部の前線をまわり、たくさんのウクライナ兵たちに出会った。砲弾が飛び交うなか、故郷と家族への思いを胸に必死で戦っていた。 2年前に訪れたオデーサ郊外の墓地を、再び訪ねた。戦没兵士が埋葬された区画は、いま何倍にも広がり、敷地を越えて裏まで延びている。一面に並ぶ真新しい墓標。兵士の数だけ立つウクライナ国旗が、夕空を覆いつくすかのように風に揺れていた。
玉本英子
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